Entries from 2013-02-01 to 1 month

 ≪ヴュルツブルク散策≫(1984年8月6日)

ニュルンベルク発11時01分のインターシティでヴュルツブルクへ向かう。今日はヴュルツブルクの街を歩き回るつもりだ。 最初にResidenzに向かって歩いた。ヴュルツブルクの駅の北側はブドウ畑になっている。ブドウの木が小高い山の斜面に植えられて、駅前…

 ウィーンへ再度の旅行(1984年7月31日〜8月2日)

7月31日 晴。 16時04分発のインターシティ(Prinz Eugen)でWienに向かう。二度目のウィーン旅行である。北ドイツ地方で雷雨があって他の汽車が遅れ、その影響で予定より約30分遅れてNürnberg Hbfを出発する。しかし途中で遅れを取り戻し、約20分…

≪思い出に残る懐かしい町々と人々(続き)≫

7月24日(火) 薄曇。 ウィーンからの友人Hamada氏とBambergへ向かう。Altes Rathaus, Dom, Neue Residenz, などを見た後、Obere Pfarrkirche, Concordia(Barockpalast), E.T.A.Hoffmann-Hausを見る。二人で瓶入りのRauchbierを飲んで、Wallfahrer氏にもお…

 ミュンヒェン旅行など

1984年7月19日(木)曇。 今日から4泊の予定でミュンヒェンに向かう。ホーフマンスタール協会主催の国際シンポジウムに出席するためである。すでにニュルンベルクの旅行会社を通じて、ミュンヒェン中央駅前のHotel Haberstockを予約しておいたので、…

≪ニュルンベルクあれこれ(続き)≫

7月4日(水) 夕刻Wallfahrerさん宅に小生宛の電話がかかる。驚いたことに、Frl. Okamotoからの電話だった。初めなかなか話が通ぜず困った。彼女がドイツでの電話に慣れていなかったせいもあろう。7月6日にNürnbergを案内することを約束した。彼女は両親と…

 1984年 6月29日〜7月2日(ウィーン旅行の記録)

6月27日(水)快晴。 久しぶりの快晴で、気温も上がった。Uhl夫妻とSchwaigのHallenbadへ出かける。これは毎週の日課となっている。9時半に家を出て、10時近くから11時まで泳ぐ。水泳に来ているのは中年や初老の人々、あるいは高齢者がほとんで人数も少なく…

折々の雑感

7月10日(火)晴。 エアランゲン。30度を越える暑さ。いよいよ本格的な夏の到来を思わせる。 午後5時にProf.Füllebornに面会し、滞在期間延長の許可をもらい、本務校の大学宛に証明書を書いてもらう。教授と40分程講義のこと、Hofmannsthalの作品のことなど…

≪ニュルンベルクあれこれ≫

ニュルンベルクといえば、まずたいていの人は1930年代のナチス党大会開催地とかニュルンベルク裁判のことを思い浮かべ、暗い表情をうかべるか、顔をしかめたりするであろう。小生がこのような暗い歴史をもつニュルンベルクを滞在地に選んだのは、偶然の理由…

A.Stifter『水晶』再考ー補足

エアランゲン大学のHerr Schlüerと面会する日が迫ってきたため、研究テーマをめぐって仕事に没頭する。 アーダルベルト・シュティフターの連作短編集『石さまざま』に中の一編『水晶』の初稿Erstfassung (Urfassung)と第二稿(最終稿)(Zweitfassung)とを比…