Entries from 2016-10-01 to 1 month

ジョイスの『死者たち』における描写の方法

ジョイスの『死者たち』の方法は、語り手の直接の介入によらない描写、すなわち語り手の解説とか論評を含まない描写の方法である。 アレン・テイトの評言を引用してみる。 「実際、物語の始めから終わりまで、われわれは全く何も語られない。われわれはすべ…

ジョイスの『若い芸術家の肖像』における語りの形式

ローベルト・ぺッチュは、1934年その先駆的な労作『物語芸術の本質と形式』の中で、語りの基本形式として、<報告><叙述><情景><場面><会話>の五つを挙げている。これらの基本形式は、今日でもなお、小説がどのような形式で構成されているか、小説…

小説における「語り」の諸形式 ---- 要約と場面

物語の叙述の様式として、普通一般には二つの基本様式が考えられる。一つは、出来事をかいつまんで報告する様式であり、もう一つは 出来事の経過の細部を詳しく描写する様式である。この二つの様式は、簡単に言えば、「要約」と「場面」である。一般に小説は…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間)の分析(その5)

ヴァージニア・ウルフの「意識の流れ」の技法を分析するために引用されたテクストは、小説『燈台へ』(1927年)の第一部第五章の全文であるが、テクストの中でバンクス氏が登場する部分は、全文が括弧でくくられているが、これはなぜであろうか。バンクス氏…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間)の分析(その4)

ヴァージニア・ウルフのテクストにおいて、ラムゼイ夫人の涙や噂に関する言説は一体何者に由来するのであろうか。語り手によるものなのか、ラムゼイ夫人によるものなのか。『燈台へ』という作品においては、語り手という存在は、ほとんど表に現われてこない…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間) の分析(その3)

すでに見たように、ラムゼイ夫人の涙についての叙述が現われるまでのテクスト部分は、(彼女の)「言った(said)」「見た(saw)」「考えた(thought)」「聞いた(listened)」という動詞によって導入される彼女自身の知覚の内容もしくは想念が、大半にわたって描…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間) の分析(その2)

これまでの分析から分かるように、客観的事実の語り手としての作者の姿は、ほとんど全くといってよいくらいに、ここでは見当たらない。ここでの記述のほとんどすべては、登場人物の意識に反映したものとして表現されている。たとえば、家屋や家具の問題にせ…