Entries from 2014-01-01 to 1 year

説話と自己語り─『発心集』における目撃される死    アラリ・アリク著(小川寛大訳・木村朗子編)

1 物語への欲望 中世初期の説話における自己語りに特有の形式について議論するために、この問題に関する議論の良きたたき台として、論者(アラリ・アリク)はハンナ・アーレントの『人間の条件』の中の文章を引用する。『人間の条件』(1958年)は、政…

『発心集』の世界ー全編を貫く命題は何か

鴨長明誕生の翌年、すなわち保元元年(1156)7月、京都市民を震撼させるような出来事が起こった。保元の乱である。天皇家、摂関家、源氏、平氏のそれぞれが激突し、平安京を主戦場として凄惨な戦闘が繰り広げられた。平安京始まって以来の本格的な市街…

鴨長明の生い立ち、そしてその執念に見られるもの

『発心集』の作者、鴨長明は平安時代の末、久寿2年(1155)頃、京都の下賀茂神社(正しくは賀茂御祖(かもみおや)神社)の神職の家に生まれた。父、長継は有能な神官で、若くして河合神社(下賀茂神社の付属社)の禰宜を、そして下賀茂神社の最高の神…

鴨長明の生涯について

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。 鴨長明の父親である鴨長継は、下賀茂神社の摂社である河…

「魚服記」再考

太宰治の「魚服記」は、太宰が若い時(満27歳)に刊行した第一創作集『晩年』に収められた短編である。なぜ15編の作品を収めた処女創作集に、『晩年』などという奇妙な題名を付けたのか。単なるポーズや擬態ではなく、自殺を前提として遺書のつもりでこ…

「フルートアンサンブル・アンダンテ」第21回定期演奏会

平成26年10月26日(日)上記演奏会を聴きに行った。場所は佐倉市民ホール、指揮は金子博陽であった。入場無料であったが、申し訳ないほど有り難かった。このアンサンブルは、八千代台東南公民館のフルートアンサンブル講座を母体として発足したアマチ…

「カフカ論」 F9会での報告資料

9月のF9会での私の話題提供に関しての御心遣い、まことに恐縮に存じます。カフカの専門的な研究者でもない私の素人話など、文章家の上條君にとっては何の困難も覚えないことと思いますが、一応仰せのように飯沼君に記録をお願いすることにします。最近、…

『吉原裏同心』

筆者は特別熱心な時代劇ファンでもないが、あまり娯楽というものがなかった少年時代には結構よく時代劇映画を観た。9月30日の朝日新聞朝刊で「時代劇は生き残れるか」というテーマを取り上げ、三人の各界を代表する人物の主張が紹介されていた(17頁「…

吉田 類の「ほろ酔いトーク」

テレビの「酒場放浪記」は毎週欠かさず観ているが、生出演の「ほろ酔いトーク」を観る(聴く)のは初めてだった。マニュアルなしの自由気儘で、ぶっつけ本番の放談は、結構楽しかった。酒場放浪記とは一味違った趣きがある。世界中を旅して歩き、今でもマニ…

カフカ再論

「『田舎医者』のような作品なら、ぼくも一時的な満足を覚えることができる……だが幸福は、ぼくが世界を純粋なもの、真実なもの、不変なものに高めるときにのみ得られるのだ」(『日記』1917年9月25日)。北村太郎氏は、「動物との親和は人間とのそれ…

渋温泉・金具屋

渋温泉は、夜間瀬川支流の横湯川沿いに温泉街が広がる。横湯川沿いの大型宿泊施設のほか、石畳の道に木造建築の旅館が並ぶ。外湯巡りが有名で共同浴場は9軒存在し、一番湯・初湯、二番湯・笹の湯、三番湯・綿の湯、四番湯・竹の湯、五番湯・松の湯、六番湯・…

フランツ・カフカ:「オドラデク」補遺

カフカの「オドラデク」について、もう少し補足しておきたいと思い(余計なことかもしれないが)筆を執った。『家父の気がかり』という作品は、ある評者によって、「カフカ文学の起源について(ある意味では終着点について)の謎を解く作品と見る視点を確保…

フランツ・カフカ:「オドラデク」

『家父の気がかり』(Die Sorge des Hausvaters)は、フランツ・カフカの短編小説。1917年執筆。1920年に作品集『田舎医者』に収められた。虫とも動物ともつかない奇妙な 生き物「オドラデク」をめぐるごく短い話である。この作品は「オドラデク」に対する語…

素描家としてのフランツ・カフカ

右に掲げたのは、カフカのオリジナル作品の手書き原稿の写真である。ほとんど書き直しや加筆部分や抹消した部分がなく、細密な文字で一気呵成に、一息で書き上げたように見える。 学生時代のカフカの肖像写真を見ると、内気そうにはにかんだ、感じやすい、瞑…

 オルセー美術館展

オルセー美術館展が7月9日から10月20日まで東京・六本木の国立新美術館で開催されることになった。テーマは「印象派の誕生」である。金曜日は午後8時まで展示されているので、18日の午後遅い時間帯に出かけた。出品されている作品は印象派を中心とする8…

第67回 女流画家協会展

7月3日、上野の東京都美術館で開催されている女流画家協会展を観に行ってきた。総展示数約640点で、多くが大作で、全作品を丁寧に観るのは諦めざるを得なかった。 会報(2014年 vol.2)に載っていた岡田菊恵氏の言葉が印象に残った。 「最近思うんですが…

新美南吉『ごん狐』の語りをめぐって

『ごん狐』の書き出しは次のようになっている。 「これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です。むかしは、私たちの村のちかくの、中山というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。」 こ…

≪世界遺産≫の白川郷

白川郷・五箇山の合掌造り集落は、1995年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。次の写真は、白川郷の集落である。

『存在の耐えられない軽さ』読解

「フランツが好んで陶酔したがる<大行進>という考えは、あらゆる時代とあらゆる傾向の左翼の人びとを一体にする政治的キッチュである。<大行進>、それは前方へのあの素晴らしい歩み、友愛、平等、正義、幸福にに向かい、あらゆる障害にもかかわらず、も…

≪中欧論≫ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』をめぐって

ニーチェの永劫回帰という思想、つまりわれわれがすでに一度経験したことが何もかももう一度繰り返され、そしてその繰り返しがさらに際限なく繰り返されるという思想……このような想像あるいは思想は恐ろしいものである。永劫回帰の世界では、われわれの一つ…

≪中欧論≫ A.シュティフター雑感

モルダウの源流近くに生まれ、南ボヘミアの自然の中で育ったシュティフターは、晩年散文 による叙事詩ともいうべき長編歴史小説『ヴィティコー』を書いた。 12世紀のボヘミアとモラヴィアでの大公位継承をめぐる戦乱の中を生き抜いてゆく騎士ヴィティコー…

カフカ研究についての覚書(その3)

カフカにとって書くという行為──カフカは「書くことの自立性のなさ」について、1921年12月6日の日記に書いている。「火を入れている女中、暖炉でぬくまっている猫、暖をとっている哀れな年老いた男……。これらはみな自立した、自分の法則に支配された…

カフカ研究についての覚書(その2)

ここではモーリス・ブランショ著『カフカからカフカへ』(山邑久仁子訳、書肆心水)を取り上げ、その中の幾編かの論考について、自由な形で感想を述べてみたい。 「カフカを読む」 カフカの『日記』が示しているように、カフカが望んだのは、作家になること…

カフカ研究についての覚書(その1)

ハインツ・ポリツァーは、その著『カフカ研究の問題性と諸問題』(1950年)の中で、カフカ研究についてのマックス・ブロートの大きな貢献を認めた上で、次のように言っている。「しかし、あらゆるカフカ解釈の根本的害悪、つまり文学的イメージを、神学…

最近の話題など・・・

「芥川賞150回」に関して、作家で芥川賞選考委員の島田雅彦氏が朝日新聞の「ニュースの本棚」に記事を書いていた。印象に残ったことを引用してみよう。多くの「取りこぼし」の例として、主な落選者である作家の名が挙げられている。壇一雄、高見順、中島…