悲しみという原質

筆者がカフカ研究の第一級の資料として読んだ北村太郎氏のカフカ論に見られる「きわめて人間的な静謐な人柄」の魅力は、今でも忘れがたい印象として残っている。詩とは「直撃力」だと書いた北村太郎氏のすべての著作には「悲しみ」という微香がただよい、そ…

悲しみという原質

I君のエッセイからの引用。---平吉氏の「交響変奏曲」が初演された直後、この作品への評価は必ずしも良いものではなく、彼はそのことをひどく悔しがり、また憤慨していた。私も某新聞紙上に高名な批評家Y氏が寄せた記事を読んだが、それはまことに空疎で貧…

悲しみという原質

畏友I君から、彼の無二の親友である作曲家平吉毅州氏のことを書かれた『悲しみという原質』というエッセイを送っていただいた。時間をたっぷりかけて読んだものの、容易には言い表わせない不思議な読後感に捉えられている。それは、いまだ心の中ではっきり…

早期食道ガン、再発を禁酒で半減

早期の食道がんの治療後に起きやすい再発は、禁酒をすることによって確立を半減できるという調査結果が、全国16の医療施設でつくる研究チームによって専門誌に発表された。これまで禁酒によって食道がんの再発をどの程度減らせるか正確なことは、分かってい…

支援ロボット「ダビンチ」による食道がん手術

胃がんの手術が最初に成功したのは1881年で、切除法や再建法など今も世界中でされる手術の原型は19世紀に完成しました。最初に転移するリンパ節を切除する「郭清(かくせい)」が提唱されたのも20世紀半ばです。 なぜ外科手術がそこから進歩しなかったかとい…

オバマ時代とは何だったのか。

(この記事は、トランプ氏が米大統領として選ばれる前に、慶応大学教授渡辺靖氏が朝日新聞に寄稿した論攷に基づいて、筆者が自分なりにまとめたものであることを、予めお断りしておきたい。) バラク・オバマ大統領に関して最も印象的なのは、強靭な理想主義…

ジョイスの『死者たち』における描写の方法

ジョイスの『死者たち』の方法は、語り手の直接の介入によらない描写、すなわち語り手の解説とか論評を含まない描写の方法である。 アレン・テイトの評言を引用してみる。 「実際、物語の始めから終わりまで、われわれは全く何も語られない。われわれはすべ…

ジョイスの『若い芸術家の肖像』における語りの形式

ローベルト・ぺッチュは、1934年その先駆的な労作『物語芸術の本質と形式』の中で、語りの基本形式として、<報告><叙述><情景><場面><会話>の五つを挙げている。これらの基本形式は、今日でもなお、小説がどのような形式で構成されているか、小説…

小説における「語り」の諸形式 ---- 要約と場面

物語の叙述の様式として、普通一般には二つの基本様式が考えられる。一つは、出来事をかいつまんで報告する様式であり、もう一つは 出来事の経過の細部を詳しく描写する様式である。この二つの様式は、簡単に言えば、「要約」と「場面」である。一般に小説は…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間)の分析(その5)

ヴァージニア・ウルフの「意識の流れ」の技法を分析するために引用されたテクストは、小説『燈台へ』(1927年)の第一部第五章の全文であるが、テクストの中でバンクス氏が登場する部分は、全文が括弧でくくられているが、これはなぜであろうか。バンクス氏…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間)の分析(その4)

ヴァージニア・ウルフのテクストにおいて、ラムゼイ夫人の涙や噂に関する言説は一体何者に由来するのであろうか。語り手によるものなのか、ラムゼイ夫人によるものなのか。『燈台へ』という作品においては、語り手という存在は、ほとんど表に現われてこない…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間) の分析(その3)

すでに見たように、ラムゼイ夫人の涙についての叙述が現われるまでのテクスト部分は、(彼女の)「言った(said)」「見た(saw)」「考えた(thought)」「聞いた(listened)」という動詞によって導入される彼女自身の知覚の内容もしくは想念が、大半にわたって描…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間) の分析(その2)

これまでの分析から分かるように、客観的事実の語り手としての作者の姿は、ほとんど全くといってよいくらいに、ここでは見当たらない。ここでの記述のほとんどすべては、登場人物の意識に反映したものとして表現されている。たとえば、家屋や家具の問題にせ…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間) の分析(その1)

前回のブログで、ヴァージニア・ウルフの小説『燈台へ』の第一部第五章の全文を掲げた。このテクスト全文に関しては、E・アウエルバッハによる優れた分析がある(E・アウエルバッハ『ミメーシス----ヨーロッパ文学における現実描写----下』、第二十章、茶…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間) ヴァージニア・ウルフ『燈台へ』

「もし明日お天気でないにしても」ラムゼイ夫人はウィリアム・バンクスとリリー・ブリスコが行きすぎるのにちらりと眼をやりながら、言った、「またほかの日があるでしょう」。リリーの魅力は色白な、巾着のようにすぼまった小さな顔にななめに切れ上がった…

現代小説における時間(人物の意識の内部を流れる時間)                  ----------『燈台へ』 

ヴァージニア・ウルフは、1919年あるエッセイの中で次のように書いた。 「平均的な一日における平均的な情緒について、ほんの一瞬でも吟味してみるがよい。情緒は、おびただしい印象を-------すなわち些細な印象、幻想的な印象、漠然とした印象、あるいは鋼…

カフカ再考

「『田舎医者』のような作品なら、ぼくも一時的な満足を覚えることができる……だが幸福は、ぼくが世界を純粋なもの、真実なもの、不変なものに高めるときにのみ得られるのだ」(『日記』1917年9月25日)。 『田舎医者』-----脱構築された物語世界 『田…

イオンタウンよりユーカリが丘高層タワー群を望む

イオンタウンよりユーカリが丘高層タワー群を望む

奥又白池と涸沢

奥又白池 徳沢園の 二輪草 涸沢

カフカ再考

「『田舎医者』のような作品なら、ぼくも一時的な満足を覚えることができる……だが幸福は、ぼくが世界を純粋なもの、真実なもの、不変なものに高めるときにのみ得られるのだ」。(カフカ『日記』1917年9月25日) 北村太郎氏は、「動物との親和は人間と…

思い出の上高地

河童橋 焼岳と梓川上高地の思い出というと、やはり河童橋とそこから見える穂高連峰である。何度河童橋を渡り、何度前穂や奥穂、そして西穂の峰々を仰ぎ見たことだろうか。 私にとっての上高地は、今から50年以上も時を遡った頃の小梨平のキャンプ場である…

写真集(我が家のロビン)

人間の年齢でいうと、ゆうに80歳は越えている。この頃は鳥籠の中で暴れまわることも少なくなって、静かに瞑想にふけっているような気配である。こちらの意向もほぼ察しがつくので、以前のようにやたらと噛みつくこともなく、静かにことが終わるのを大人し…

写真集

シューベルト「冬の旅」のイメ―ジ ユダヤ人墓地ミュシャ像 2016年6月26日(日) 午後9時00分〜9時49分 NHKスペシャル 古代史ミステリー 「御柱」 〜最後の“縄文王国”の謎〜 今年、長野県・諏訪は6年に一度の熱狂に包まれている。諏訪大社の「御柱祭」。男たち…

国立がん研究センター(柏)東病院

上の写真は、国立がんセンター(柏)東病院の1階の廊下の壁に懸かっていた版画である。なんとなく惹き付けられるものを感じて、持っていたスマホで撮ったものである。

退院の日に

N.I.氏より 術後のブログ投稿第一号、拝読しました。 ≪カフカを夢中になって読んだ体験が、 今では何よりも貴重なものに思えてくる。 読むことと解釈することとは、全然別物である。 カフカは解釈を求めていない。 ひたすら読むことだけを、ただそれだけを求…

カフカの思い出

カフカの思い出といっても、筆者はカフカと同時代を生きたわけでもなく、ましてや当人に出会ったわけでもない。しかしカフカについていろいろ書かれたものや、そして何よりもカフカ自身が書いた作品や日記、手紙などを読むと、「思い出」という言葉を使いた…

カフカの『城』とは何か・・・終章

飯沼信義君は、私の高校時代の同級生であるが、高校時代や大学時代はほとんど接点がなく、互いに知るところも皆無といってもよかった。しかし大学を卒業して社会人となり定年を迎える頃となり、高校時代の同期生がF-9会と称する研究報告会あるいは放談会を毎…

カフカの『城』とは何か・・・「カフカのエクリチュール」(結語)

クライストとカフカ 「火を入れている女中、暖炉でぬくまっている猫、暖をとっている哀れな年老いた男……。これらはみな自立した、自分の法則に支配された活動である。ただ書くことだけが寄る辺なく、自身のうちに安住せず、冗談であり、絶望なのだ」(1) 「カ…

カフカの『城』とは何か・・・「カフカのエクリチュール」

ヴェストヴェスト伯爵の居城である城、その城に測量士として招聘されたと信じ、さまざまな障害や困難を乗り越え目的を達しようと果敢な行動を挑むKにとって、城は確かに希望と救済の象徴であるかもしれない。さまざまに職種や任務を異にする役人たち、下級役…