悲しみという原質

 筆者がカフカ研究の第一級の資料として読んだ北村太郎氏のカフカ論に見られる「きわめて人間的な静謐な人柄」の魅力は、今でも忘れがたい印象として残っている。詩とは「直撃力」だと書いた北村太郎氏のすべての著作には「悲しみ」という微香がただよい、そのことが文体の特性として一貫しているように感じながら、I君はこの詩人の著作をこよなく愛し、読んでおられる。I君はまた、多くの読み手が、北村氏の著作から平易さ、おおらかさ、温かさ、人懐っこさといったものを感じるのは、北村氏の言語や文体には、平吉氏の言う《私が原質として持っているらしい悲しみのようなもの》と相通じるものがあるからだとも言っておられる。さらに「北村の言葉や表現は急進的でも破壊的でもない。北村の言う《ラディカル》とは、あくまで作家の内部の思惟の問題なのであって、外部に露出する表現の様相を指すものではない。この点も平吉の《交響変奏曲》の書法と同じである」とも言っておられる。I君が、平吉氏と北村氏の間にお互いに相通じ合うもの、同質性、こういってよければ、血族関係を認めたのは、本当に素敵なことだ。
 少し唐突かもしれないが、ここで小林秀雄の「モーツァルト」論に触れたい。小林秀雄は、スタンダールが、モーツァルトの音楽の根底はtristesse(かなしみ)というものだ、と述べたことに触れながらこう書いている。《------確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。空の青さや海の匂いの様に、万葉の歌人が、その使用法をよく知っていた「かなし」といふ言葉の様にかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家は、モオツァルトの後にも先にもない。------彼は手ぶらで、裸で、余計な重荷を引き摺つてゐないだけだ。彼は悲しんではゐない。ただ孤独なだけだ。孤独は、至極当たり前な、ありのままの命であり、でつち上げた孤独に伴ふ嘲笑や皮肉の影さえない。》江藤淳は、「この部分は、あの美しい《モオツァルト》のなかでも最も美しい部分である」と述べている。小林は、モオツァルトの音楽の深さと彼の手紙の浅薄さとの異様な対照を説明しようとする批評家たちに対して、「僕はそういう見方を好まぬ。そういうもっともらしい観察には何か弱々しい趣味が混入しているように思われる。------彼らにモオツァルトのアレグロが聞えて来るとは思えない」と皮肉を述べている。
 最後に《悲しみ》という言葉からの必然的な連想として、小林秀雄中原中也の詩について書いた文章を引用する。
   《汚れちまつた悲しみに
    今日も小雪がふりかかる
    汚れちまつた悲しみに
    今日も風さえ吹すぎる

 中原の詩はいつでもかういふ場所から歌はれてゐる。彼はどこにも逃げない、
理知にも心理にも、感覚にも。逃げられなく生れついた苦しみがそのまま歌になつてゐる。語法は乱れてゐて、屡々ぎごちなゐ。併し影像は飽くまでも詩的である。又影像は屡々不純だが飽くまでも生活的である。僕はさうい詩を好むのだ。彼には殆ど審美的な何かが欠けてゐるのではないかと思はれるぐらゐ、彼の詩は生生しい生活感情にあふれてゐる。彼は愛情から愛情ある風景を夢見ない。悔恨から悔恨の表情を拵へ上げない。彼はそのままのめり込んで歌ひ出す------》(江藤 淳『小林秀雄』、講談社、1965年、157頁)

 作曲家平吉氏の言葉《私が原質として持っているらしい<悲しみ>のようなもの》から始まって、I君の《悲しみの原質》という音楽の基層に迫る学理的にも情緒的にも深淵な分析に驚嘆の念を覚えながら、最後は筆者自身の嗜好に負ける形で「モオツァルトの疾走する悲しみ」とか中也の有名な詩「汚れちまった悲しみ」にまで論が及んでしまったのは、少し悲しい気がする。
 本稿はこれで一応終了とするが、I君に対してはまだいろいろ宿題を背負ったままでもあり、これからもっと勉強しなければと思っている。

悲しみという原質

 I君のエッセイからの引用。---平吉氏の「交響変奏曲」が初演された直後、この作品への評価は必ずしも良いものではなく、彼はそのことをひどく悔しがり、また憤慨していた。私も某新聞紙上に高名な批評家Y氏が寄せた記事を読んだが、それはまことに空疎で貧しい中味であったように記憶している。おそらくは、事前に総譜に目を通すなどの下準備などせずに、ただ一回の演奏を聴取しただけの印象批評といった域を出るものではなく、新鮮味も問題提起もない、まさに通り一遍の凡庸なものであった。「交響変奏曲」という曲名からして創意に古臭さを感じる、といったようなことまで書かれていたことを思い出す。たったいま書き下ろされたばかりの当代気鋭の作家の新作初演の批評を書くのであれば、事前の総譜の確認はいうに及ばず、作家へのインタビュー、さらに、作家の日頃の営為や思想などについての論考に及ぶくらいの気迫で当該作品に接近した上で、評者の率直な論評を真摯に開陳するものでなければ、誠実な批評とは言えまい。平吉氏の憤慨もそのあたりにあるのだと思う。「変奏曲」という表現方法、あるいは形式を、何故に古臭いと感じるのだろうか。これ程、作家の真実を語りうる表現形式はないのに!---
 J・S・バッハを経て、モーツアルトベートーヴェンを中心とする古典主義の時代に書かれた多くの変奏曲の名作が、常に主題の姿形を見失うことのない位置で書かれており、冒頭に提示される主題と、曲中の各変奏とは有機的・客観的な関係に置かれている。両者の相関性を比較的容易に聴取できるという点で、これらの時代の変奏曲は「客観的変奏」とも呼ばれている。しかし歴史の進展とともに、芸術の分野においても新たな価値観と秩序が生まれ、その思想と表現に大きな変化が生まれる。変奏曲においても、「客観的変奏」に対する「主観的変奏」という概念が、新たな地平を拓いてゆくことになる。
 「主題」に《原質としての悲しみ》といった無形の思惟を据えることによって、あるいは形而上的な知覚そのものを設定することによって、「客観的な姿形を有するもののみが変奏曲の主題である」とするきわめて頑固で保守的な目線には、平吉作品(「交響変奏曲」)の主題は理解不可能なものとなる。
 以下はI君の文章からの引用。---言うまでもないが、変奏曲の作曲において、作曲家はたったひとつの主題に基本想念を潜ませ、それを、先々の変奏において、あらゆる相克、つまり、生死、愛憎、聖俗、知情、静動、明暗などの葛藤を描いて見せるのであり、その想到とメチエが問われるのである。音楽表現の永劫不滅の可能性は変奏曲とフーガにのみ存する、と語ったのは誰であったか。---
 いろいろ書き連ねていても、I君の音楽理論を正しく理解するのはほとんど不可能なので、まことに幼稚な手法ながら、手元のスマホの動画で平吉氏の作曲した子供のためのピアノ曲集《虹のリズム》から「真夜中の火祭り」を聞いてみることにする。子供たちがピアノ演奏をするのを好む曲だけあって、主旋律は分かり易く美しい。それを巡って様々な変奏曲が戯れるように曲を奏でている仕組みはなんとなく分かるような気がする。弾く者の表現力によって、曲の持つ表情がすごく違って見えるのも興味深い。(以下続く)

悲しみという原質

 畏友I君から、彼の無二の親友である作曲家平吉毅州氏のことを書かれた『悲しみという原質』というエッセイを送っていただいた。時間をたっぷりかけて読んだものの、容易には言い表わせない不思議な読後感に捉えられている。それは、いまだ心の中ではっきりした形となることなく、渦巻いている感じである。次はI君のエッセイからの引用である。「平吉さんは、尾高賞作品「交響変奏曲」について《私が原質として持っているらしい<悲しみ>のようなものを感じながら筆を進めた》と述べている」。そしてI君は、在りし日の平吉氏の、人懐っこい仕草や口調を眼にし耳にしながら、彼の魂が生み出した作品のすべてに、「原質のような悲しみ」という気質が潜在していることを、見抜いていたようである。「悲しみ」という情動は、いかなるものであり、それはどのようにして知覚されるのだろうか。次もI君の文章からの引用ですある。「私は、人間にとって、最も高貴で上質な精神の働きは<悲しみの覚知>にある、と信じている。<悲しみ>は外在しない。ただ、その人間の内にのみ存在する。<悲しみ>とは、悲しい時にだけ悲しいと感ずることなのではなく、つねに悲しいのだという、本性的な原質なのである。---[中略]--- 平吉氏の《私が原質として持っているらしい悲しみのようなもの》という表現も、そのような根源的な思惟をつねに自らの創作の基層に置く人間の発話として理解されなくてはならない」。(以下続く)

早期食道ガン、再発を禁酒で半減

 早期の食道がんの治療後に起きやすい再発は、禁酒をすることによって確立を半減できるという調査結果が、全国16の医療施設でつくる研究チームによって専門誌に発表された。これまで禁酒によって食道がんの再発をどの程度減らせるか正確なことは、分かっていなかった。研究チームの武藤学・京都大学教授は「早期でがんを見つけて内視鏡治療を受ければ、食道を温存できる。一方で、再発の可能性が残る。治療後も定期的な検査を受け、禁酒をすることが大切です」と話す。(10月30日、朝日新聞朝刊の記事から。)
 国立がん研究所H病院では、小耳にはさんだところ、内視鏡治療に特化した研究治療施設を建設中であるとのこと、これが実現するとなれば、奇跡的とも言うべき成果が生まれるかもしれない。(夢かもしれないが)身体に負担をかけないあらゆる手術が可能になり、重症の患者にはこの上ない朗報をもたらすだろう。そして本当の意味での Quarity of Life が患者に担保されるであろう。

 食道がん手術後の痛み
食道の手術では、頸部、胸部、腹部で、がんの病巣を摘出したり、リンパ節を切除するため、広い範囲に手術の創あと(術創(じゅつそう))ができます。手術直後から、その創を中心に痛みが生じやすくなります。手術後の痛みは、治療後の悩みになるばかりでなく、引き続いて行われる治療やこれからの療養について積極的になれない、痰を強く出せない、そのために肺炎になりやすい、といったことにつながることがあります。手術後間もない時期に痛みがあるのは、自然なことです。痛みは我慢しないで、積極的に医師や看護師に伝えましょう。痛みの性質や状態に応じた処置がなされます。軽い痛みの場合には、痛みを過剰に気にしないように気分転換することも、痛みを和らげることにつながります。胸やおなかの創が痛むことや、体の向きが制限されて痰を吐き出せないでいると、気管支炎や肺炎にかかる危険性が高くなります。意識的に痰を出すように努めましょう。手術前の準備が大切です。呼吸訓練器を渡されたときは、指示に従って正しい方法で練習します。また、痰の出し方について、看護師に尋ねておきましょう。口をすぼめて鼻からおなかの底まで息を深く吸い込み、勢いよく「ゴホン!」と吐き出す方法がよく用いられます。手術の後で痛みが強いときや、寝たままの状態のときには、うまくできないかもしれません。そのときには、保湿したり、気管支を広げる薬を吸入する(ネブライザー)処置が行われたりします。頸部や胸部の手術のとき、声帯の動きを調節する神経(反回神経)の近くのリンパ節を取り除くことにより、反回神経麻痺(まひ)が起こることがあります。声を出したり、食道や気管に入る食べ物や空気の流れを調節したりする機能を持つ声帯の動きが悪くなるために、声がかすれる、食べたものが喉もとでつかえる、むせる、誤嚥(ごえん)しやすくなる、などの症状があらわれます。また誤嚥は、肺炎の原因にもなります(誤嚥性肺炎)。
自然に治ることも多いので、通常、特に治療はしないで経過をみますが、声帯や喉に関しては、耳鼻咽喉科の医師の診察を受けることもあります。医師や看護師、言語聴覚士に、声の出し方や、むせにくい食事の仕方について相談してみましょう。
(参考:国立がん研究センター:食道ガンの療養情報)

支援ロボット「ダビンチ」による食道がん手術

 胃がんの手術が最初に成功したのは1881年で、切除法や再建法など今も世界中でされる手術の原型は19世紀に完成しました。最初に転移するリンパ節を切除する「郭清(かくせい)」が提唱されたのも20世紀半ばです。
 なぜ外科手術がそこから進歩しなかったかというと、「がんが見えない」からです。人の目で見えるのはがん細胞の塊で、がん細胞そのものではない。がんの転移はおそらく細胞レベルではじまるが、その転移するがん細胞が見えないことが手術のときの大きな問題になります。
 しかし最近、色々な技術が開発されています。私たちもがんだけを光らせる蛍光試薬を開発しました。これをまくと目で見えないがんが光って見えます。2,3年で臨床現場で使える見通しです。
 見えるようになると、その部分だけをうまく切り取ればよい。最近出てきたのがロボット手術です。私たちは食道がんの手術で、「ダビンチ」という手術支援ロボットを使っています。「手」にあたるアームには七つの関節があって、人間の手よりよく動き、操作者の手の震えも伝わりません。「目」にあたるカメラも人の目よりもよくて、拡大もできます。
 食道がんは胸やおなかなどを開いて、7〜8時間かかる大手術ですが、人間の手が入らない狭い部分でもロボットは入るので、患者さんの負担や合併症の危険を減らせます。
 今後のがん手術はこういった技術を駆使して臓器を残し、患者さんの手術後の生活の質を担保することが大事です。がんがあるところだけをうまく取るというのが外科医が目指すべきがん手術となっていきます。(東京大教授 瀬戸康之さんのお話。朝日新聞掲載の記事より。)

オバマ時代とは何だったのか。

(この記事は、トランプ氏が米大統領として選ばれる前に、慶応大学教授渡辺靖氏が朝日新聞に寄稿した論攷に基づいて、筆者が自分なりにまとめたものであることを、予めお断りしておきたい。)
 バラク・オバマ大統領に関して最も印象的なのは、強靭な理想主義者であると同時に、冷徹な現実主義者であるという点である。例えば、2009年のノーベル平和賞につながった「核兵器なき世界」を訴えたプラハ演説(フラチャニ広場で行なった)は理想主義者の側面を、「世界に悪は存在する。時に武器は必要である」と訴えたオスロでの受賞演説は現実主義者の側面を、それぞれ映し出している。
 私たち日本人にとって記憶に新しいのは、5月の広島訪問である。現実主義の立場に立てば、現職米大統領被爆地訪問は政治的リスクでしかない。究極の目標としての「核兵器なき世界」という理想主義なしではあり得ない大胆な行動であった。その一方で、実現するにあたっては、数年かけて入念に布石を打ち、国内外の世論とタイミングを慎重に見定めた。
 理想主義と現実主義という二項対立の昇華にこそ、「オバマイズム」の本質と真骨頂があった気がする。
 もう一つ印象的なのは、新たな時代の変化に合致するように、彼が米国の自画像(アイデンティティー)を刷新しようとしたことである。
 まず国内的には、アフリカ系として初めて米国大統領に就任したこと、就任演説で無宗教者の尊厳を擁護したこと、米大統領として初めて同性婚支持を表明したことなどである。これは白人やキリスト教徒の比率が低下し、人口構成や価値観が多様化する米社会を象徴するものである。
また、格差拡大や中流層の没落、金融危機リーマン・ショック)など、「自由」の名の下に社会正義がむしばまれている状況を是正すべく、金融規制改革、医療保険制度改革オバマケア)等、連邦政府による規制や関与を強化した。真の「自由」のためには、放任主義ではなく、政府の一定の介入が必要だとする米国流のリべラリズムの再来である。
 次に対外的な外交面では、「米国は世界の警察官ではない」と公言し、相互依存の深化や新興国の台頭といった国際環境の変化を踏まえた上で、関係国に負担共有を求めてゆく方向を打ち出す。一方、歴史的なパリ協定の締結に見られる気候変動への対策や核拡散防止といったグローバルな課題では、むしろ先導的な役割を果たした。
 しかし中東の状況に目を向けると、シリアの化学兵器使用を「超えてはならない一線」と表明したにもかかわらず、軍事行動のタイミングを逸した件は、米大統領や米国の権威失墜の象徴として多くの同盟国の不信と不安を招いた。
 中東からアジア太平洋への戦略的リバランス(再均衡)を急ぐあまり、米軍撤退後のイラク
―――ひいては中東全体ーーーの青写真をおざなりにし、結果的に力の空白を生じさせ、ロシアやイランの影響力拡大、あるいは過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭を助長したとする声も根強い。
 オバマ大統領による国内的・対外的な米国のこうした自画像の刷新は、米社会とそれを取り巻く国際環境の変化を意識したものであろう。と同時に、ケニア人を父に持ち、ハワイで生まれ、インドネシアで幼少期を過ごし、シカゴの貧困地域で社会活動に従事するなど、歴代大統領とは異なる生活背景や経験を有することを考えれば、オバマ大統領は米国の価値観や正義に対してより謙虚で、自省的なのかもしれない。
 自画像刷新の成果については、保守派、リベラル派、熱心な支持者を問わず、各方面からさまざまな疑問や不満、あるいは懸念が挙げられているが、その理由としては、政治経験が浅いまま一気に大統領の座を射止めたことや、孤高と思弁を好む性格もあり、泥臭い根回しや駆け引きが不得手な面があげられよう。
 いろいろな評価があるにせよ、この8年間を見る限り、大きな醜聞もなく、清廉潔白かつ冷静沈着な態度を貫いた点では、党派を超えて賞賛の声があがるのも当然であろう。
 その一方で、オバマ時代とは、米国の社会や政治をもはや一元的に一国内の問題として捉えられなくなった8年間であるということも否定できない。

 米国大統領選挙は、大方の予想に反して、トランプ氏の圧倒的とも言うべき勝利に終わった。米国はもはや United States of America ではなく、Divided States of America と称するべきなのかもしれない。(筆者の感想)
 

ジョイスの『死者たち』における描写の方法

 ジョイスの『死者たち』の方法は、語り手の直接の介入によらない描写、すなわち語り手の解説とか論評を含まない描写の方法である。
 アレン・テイトの評言を引用してみる。
 「実際、物語の始めから終わりまで、われわれは全く何も語られない。われわれはすべてを見せられる。例えば、物語の環境は世紀の変わり目のダブリンの、地域的で、中産階級的で、<洗練された社会>であると語られることはない。またゲイブリュエルは、その社会の感情的不毛を表しているということも語られない(彼の妻グレッタの<農民の>感情的豊かさとは対照的に)。……こういったすべてのことが劇的に表現されているのをわれわれは見る。すべてが活性化されているのである。外からの全知の視点から与えられるものは何もない。……ゲイブリュエルは簡潔に描写されている。しかしそれはジョイスによる描写ではない。われわれはリリーが見ているように、また彼女がジョイスのように状況のすべてを意のままに支配する力を持っている場合に彼を見るように、彼を見るのである。これが実のところ『死者たち』の方法なのである。この時点からずっと、われわれはゲイブリュエルの肉体的視覚から決して遠ざかることはない。それでもわれわれは常に彼の肉体的な目を通して、彼にはとても得ることができないような価値や洞察を見ているのである。環境の持つ意味、ゲイブリュエルの妻に対する満ち足りた気持ち、彼女が心に抱いている恋人マイケル・ヒュアリーのロマンティックなイメージは、ジェイムズ以前の時代には、作者の直接の介入による解説と論評としてわれわれに提示されていたであろう。従ってこの物語は活気のないものになっていたことであろう。」(ウェイン・C・ブース『フィクションの修辞学』{米本・服部・渡辺訳}、書肆風の薔薇、1991年、276頁参照)
 次に『死者たち』の一場面を引用してみよう。
 雪がちらちら降るダブリンの町、中年に近い大学教授ゲイブリュエル・コンロイは、叔母(モーカン姉妹)の家で催される舞踏会に妻グレッタを伴って出席するが、ダンスの後、賑やかな宴会に移り、ゲイブリュエルは例によって丸焼きの鵞鳥の肉を切り分ける役を与えられる。芝居や歌劇や歌手の話題に席も大いに盛り上がり、いよいよゲイブリュエルのスピーチの時がやって来る。彼はモーカン姉妹の心のこもったもてなしに感謝し、その温かいもてなしの心こそアイルランドの伝統の最も誇るべき美徳だと称える。ゲイブリュエルの真情溢るる演説の言葉に、ケイト叔母の眼に涙が浮かぶ。パーティーが終わり、ゲイブリュエルは帰途につく人々を見送り、玄関の暗がりで二階から下りてくる妻のグレッタを待っている。彼が踊り場に見たものは、なにか放心したようにじっと歌に聞き入っている妻グレッタの別人のような雰囲気であった。


 ゲイブリュエルは連中とともに玄関口へは出なかった。じっと階段を仰いだまま玄関の暗がりにいた。一人の女が最初の踊り場あたりに、それも影にひそみたたずんでいた。その姿は見えなかったが、影が白と黒に見せている彼女のスカートのテラコッタいろの鮭肉色(サーモンピンク)の縫い飾りがみとめられた。それは妻だった。彼女は手すりによりかかって、何かに聞きほれていた。ゲイブリュエルはその静けさに打たれて、自分もまた聞こうと耳をそばだてた。しかし、表の階段におこる笑い声と言いあいの騒音以外、ほとんど聞きとれなかった。ただピアノにひびくきれぎれの諧音と、男性の声が歌うきれぎれの音調と……
 彼は、玄関のうす暗がりにじっとたたずみ、その声が歌う歌曲(ふし)聞きとろうとしながら、下から妻の姿をながめた。彼女の姿態には、何かの象徴であるかのような、優雅さと神秘があった。階段の下で影にひそみたたずんで、はるかな音楽に聞き入っている女はいかるものの象徴であろうか、と彼は問うてみた。
              (ジョイス『死者たち』安藤一郎訳)


 ホテルに帰って、一方で妻を激しく求めながら、しかしいつもと違う妻の様子になにか踏み込めないものを感じているゲイブリュエルは、妻から彼女がまだゴールウェイの田舎に住んでいた娘時代、大きな黒い瞳をした虚弱な少年に真剣に愛されたことがあったと告白される。パーティーでグレッタが聞きほれていた「オーリムの乙女」という曲がきっかけになって、彼女はこの若者のことを想い起こしたのである。二人で田舎の野原を散歩したとき、彼が澄んだ声でよくその歌を歌ってくれた。グレッタがダブリンの修道院に入ることになりゴールウェイを去る前日、少年は雨のなか病をおして別れを告げに来る。雨に濡れて死んでしまうからすぐ帰ってという彼女に、彼は「生きていたくない」と言う。彼女がダブリンに発った一週間後、少年マイケル・フュウリーは十七歳の若さで死ぬ。「あたしのために死んだんだと思うわ」という妻の言葉が深く胸に沁みたゲイブリュエルは、彼女がここ恋をこれまでずっと大事に心の中に秘めてきたこと、それにひきかえ夫たる自分が彼女の生涯において、どんなにつまらない役割を演じてきたかを思い知る。彼女の寝顔を見つめるうちに、不思議な憐憫の情にとらえられた彼は、その夜のさまざまな出来事を思い浮かべながら、生きとし生けるものすべてがいつかは行くことになる世界、すなわち死せる人々のおびただしい群れが住む彼岸の世界へと想いを馳せる。折しも窓の外では、雪がすべてのものの上に、アイルランドじゅうに、生けるもの死せるものすべての上に降りしきっている。
 ここでは確かにすべてはゲイブリュエルの眼で眺められているといってよい。その意味でわれわれは、アレン・テイトが言うように、ゲイブリュエルの肉体的視覚から一歩も踏み出ることはできない。しかしそれにもかかわらず、われわれは、ゲイブリュエルの感覚を通して、彼が実際に見たり聞いたり感じたりできる以上のことを認識させられているのだという印象から逃れることができない。われわれが感ずるそのような印象は、やはりスコールズが指摘するように、ジョイス流の腹話術師的な効果、すなわち作者が登場人物の声で語りながら、その人物を第三者として眺め、その人物の知覚しうることしか語らず、しかもそれを利用して、見えない語り手の意見をも伝えてしまうという精妙極まりない語り方に由来するものである。(ロバート・スコールズ記号論のたのしみ』<冨山太佳夫訳>、岩波書店、1985年、185頁参照。)

 ジョイスの著作においては、アイルランドでの経験がその根本的な構成要素となっており、多かれ少なかれ、すべての作品の舞台や主題の多くがそれらの経験からもたらされている。短編集『ダブリン市民』は、ダブリン社会の停滞と麻痺の鋭い分析であるといってもよい。この短編集には、ジョイス文学のキーワードともいうべき「エピファニー」という現象が導入されているが、これはジョイスによって特有の意味を与えられた語で、物事を観察するうちにその事物の「魂」が突如として意識の中に立ち現われ、その本質が露呈されることを意味している。
 短編集の最後に置かれた最も有名な『死者たち』は、1987年に映画化され、ジョン・ヒューストンの最後の監督作品となった。