『吉原裏同心』

 筆者は特別熱心な時代劇ファンでもないが、あまり娯楽というものがなかった少年時代には結構よく時代劇映画を観た。9月30日の朝日新聞朝刊で「時代劇は生き残れるか」というテーマを取り上げ、三人の各界を代表する人物の主張が紹介されていた(17頁「耕論」)。粗雑ではあるが、筆者なりにそれをまとめてみた。俳優の中井貴一さんは、若者たちはゲームに夢中になり、便利と文化をはき違えた文明がはびこっている今の日本にあって必要なものは、大切なものを見つめ続け、守り抜くためには、命も顧みない、絶対に譲らない「侍の心」であるという。それが虚構としての時代劇を支える心棒であるという意味のことを述べておられる。文芸評論家の縄田一男さんは、時代劇が危機的状況にあるのは、否定しようもなく、とりわけ近年のNHKの番組に質の劣化が見て取れる。具体的には、時代劇の所作を心得ていない俳優が主役をはったり、人物造作も単純で、脚本も弱く、万人にわかりやすい物語を届けている点に表われている。時代劇の真骨頂は殺陣にある。時代劇俳優は、殺陣をきちんと学び、こなさなければならない。時代劇に参入してきた脚本家や映画監督がパロディーに走って、軟弱なホームドラマみたいな作品ばかりという傾向も、時代劇の危うい状況をさらに悪化させている。「鞍馬天狗」の嵐寛寿郎は、時代劇は一種のニヒリズムであると述べたが、80年代半ば以降、日本が本格的に豊かになるにつれ、時代劇全体が牙を抜かれ、反権力的な志向を失っていった。時代劇も、歌舞伎のように国などが予算を投じて保護・継承をしていかなければ、確実に滅びる、と縄田さんは言う。一方、コラムニストのペリー荻野さんは、時代が流れても腐らない時代劇の強さを評価する。たとえば「御宿かわせみ」のように、人間をきちんと描けた作品は、いつまでたっても古くさくなく、面白いという。それは、ペリー荻野さんによれば、時代劇の言葉の強さが人の心をとらえるからである。たとえば、「あなたのために命をかける」なんてセリフは、恥ずかしくて現代劇でも絶対に言えないが、侍が刀を帯びていて、死と隣り合わせに生きている時代劇では言えるのだ。この潔さこそ、現代という時代に疲れ、時代劇に癒やしを求める人たちが憧れるものなのだ。ただでさえ疲れているときに、家に帰ってまで、OLの厳しい現実を描いたトレンディードラマなど今さら見たくもない、と思うのだ。これなら、「必殺」シリーズのあり得ない殺し方を楽しんでいるほうがいい。時代劇の魅力は、何でもありなところ、つまりすべてが作り物のファンタジーでありながら、うそ臭くならないという点にある、とペリー荻野さんは言う。

 9月18日に終了したNHKの木曜時代劇「吉原裏同心」は、久々に毎週堪能しながら観た。上映時間が約45分という枠組みの中で話が完結するので、ミステリー・ドラマにありがちな、いたずらにダラダラしたテンポでなく、一話一話が引き締まった構成で、退屈することがなかった。

 ここで参考までに、原作者の佐伯泰英氏の言葉を引用してみよう。
「原作を超えて … 原作者 佐伯泰英
このドラマの原作の『吉原裏同心・流離』は、十一年前の2003年春に出版された。当初、短編の構想で、神守幹次郎が人妻の汀女を連れて豊後岡藩城下を逃げるくだりと、妻( め) 仇討( がたきうち) を許された亭主と一統に追捕される逃避行の描写で成り立っていた。ただ今ではシリーズとして『髪結』が二十巻、そして六月には最新作『遺文』が出るまでに成長した。
この長い物語がNHK 木曜時代劇として放映される。未だ原作者は試写を見ていないが、冒頭は、幹次郎が年上の幼馴染の汀女の手を引いて雪原を逃げる場景から始まるという。
スタッフは時代劇に熟知した面々、安心している。また出演者は、神守幹次郎が小出恵介、汀女役が浅草っ子の貫地谷しほり、薄墨大夫が宝塚出身の野々すみ花さんと新鮮な組み合わせと聞く。
幕府公認の吉原はただの男女の出会いの場所というだけではない。江戸時代のファッション、化粧、音楽と流行の発信基地の役割を持っていた。閉鎖された吉原ながら世間への多岐にわたる影響力は大きかったのだ。そんな「吉原」をただ今の若い俳優陣がどのように解釈して演じてくれるか、大いに楽しみにしている。(NHK ONLINE より)

 ドラマ終了後は、「吉原裏同心」のない木曜日はさみしいと訴えるファンの声や、続編を望む声が多かった。そんな中でも、朝日新聞の「はがき通信」に載った87歳の方の感想が印象に残った。「18日終了『吉原裏同心』は情味とスリルに富んだ快作だった。舞台が遊郭の吉原であり、そこで働く楚々とした遊女、華やかな花魁の衣装、そして立ち振る舞いなど、初めて知ることもあって魅せられた。また、近藤正臣の渋く重厚な演技に、会所頭取としての優しさ、厳しさを見た。裏同心・幹次郎役の小出恵介の若さにも引きつけられた。時代劇ならではの醍醐味を満喫した。」
 「汀女役の貫地谷しほりの計算と感情のない交ぜになった演技力」(演出者のことば)もさることながら、70代になってますます演技に磨きがかかり、人間的な幅と奥行きを感じさせる近藤正臣の存在感。まさに近藤が言うところの「役者は感性で演ずるものだ」が、納得させられる。
 時代劇において重要な役割を演ずる殺陣に関しても、工夫が凝らされている。幹次郎は、子供の頃は実家が貧しくて道場に通うことができなかったが、7歳の時、旅の老武芸者から薩摩示現流の手ほどきを受け、以後独学で修行を続けながら、脱藩後に立ち寄った金沢では、小早川彦内が道場主を務める眼志流居合の道場に通い、示現流の弱点を補う居合術も身につけている。(示現流の高い跳躍によってもたらされる重い一撃は脅威だが、初太刀を躱されるとわずかな隙が生まれる。また、間合いを詰められると十分な跳躍を行えない。)