2011 信濃木崎夏期大学講義『音を紡ぐ・音で紡ぐー文学と音楽ー』を聴講して

  

 
  木崎湖を渡ってくる心地よい涼風に暑さも忘れながら信濃公堂で聴いた講義『音を紡ぐ・音で紡ぐ』は、不思議な夢のような世界へ私を導いてくれた。講師は作曲家の飯沼信義氏。講義の内容を端的に言えば、太宰治の原作短編『魚服記』と、それをNHKがラジオ・オペラ化した作品「魚服記」(橋本一明脚色・石桁眞礼生作曲)とを比較分析したものである。ちなみにこの「信濃木崎夏期大学」は、大正6年から一度も休むことなく続けられている。
 
 第1部 太宰治原作『魚服記』について
 飯沼氏は、太宰の原作を解釈するにあたって、太宰の発想に影響を与えたとされる上田秋成の「夢応の鯉魚」や柳田国男の『遠野物語』「山の人生」などに触れている。太宰の原作では、この他に津軽の民話や土俗が濃厚な腐葉土としての養分を与えている。
 飯沼氏は原作を何度も何度も読み返し、内容を十分に理解した上で、自ら朗読したものをCDに録音し、聴講生に聴かせてくれた(約25分)。この作品がどのような「語り」の構造から成り立っているかを十分に吟味した上での朗読であることは疑いの余地はない。
この物語の語り手をどのような存在として考えればよいであろうか。物語の導入部である第1章は、物語の舞台となる馬禿山と義経伝説、馬禿山の裏手にある滝と、滝壺を囲む絶壁に登って羊歯類を採集していた色の白い都の学生が転落死したことが客観的な語り口で描写される。一応通常の意味で全知的な語り手による語りと考えてよいだろう。
 第2章では、馬禿山で炭焼きをして暮らす父親とその娘スワの生活が描かれる。彼らの小屋は他の十以上もある炭焼き小屋からかなり離れた所にあったが、それは彼らがよそ者だからであった。こうして村社会における父親と娘スワの他者性、孤立性が、さりげない簡潔な言葉で指摘される。スワが十三歳になった時、父親は滝壺のわきに小さな茶店をこしらえて、スワに商売を始めさせる。スワにとって父親は唯一の肉親であると同時に唯一の他者でもあるという閉塞的な関係の中で生活は続けられる。
 スワが、今まで何気なく眺めていた滝が実は様々な変化を見せたりすることに気づく場面や、昔父親が語ってくれた三郎と八郎というきこりの兄弟の話を追想する場面、すなわち兄の三郎が留守の間に、川で取ったやまめを全部焼いて食い尽くした八郎が大蛇に変身してしまい、兄弟が互いに涙ながらに名を呼び合う話を思い出し、滝が「八郎やあ、三郎やあ、八郎やあ」とささやくのを耳にする場面は、スワの成長や自我の目覚めを暗示している。
 大人になりつつあるスワは、父親に向かって「おめえ、なにしに生きでるば」と言う。父親は肩をすぼめ、スワの厳しい顔を見ながら「判らねえじゃ」と答える。「くたばった方あ、いいんだに」というスワの言葉に父親はスワをぶちのめそうと平手を上げるが、もじもじと手をおろす。父親は、この頃スワの気持ちが苛立って来ているのを、スワがそろそろ一人前の女になったからだと見抜いている。
 ここにおけるスワと父親のやりとりは、スワが真の意味での他者性を経験していない閉塞感、絶望感の表出となっている。この章での語り手は、スワの内面に寄り添いながら、一歩踏み込んだ形で父親との関係を描写している。飯沼氏は、特にスワの父親に対する罵倒の言葉をこの物語のキーワードと見ている。
 第3章では、季節が移って茶店がたたまれ、スワは父親のかせぎのたしにするために、キノコを採りに山へ出かける。特に羊歯類の密生している腐木に生えているなめこは値段もよく、スワは密生する苔を眺めながら、たったひとりの友達(滝壺の崖で転落死した都の学生)のことを追想する。父親は炭やキノコがいい値で売れると、きまって酒くさい息をして帰ってくる。たまにスワにも土産物を買って来てくれる。木枯しの吹き荒れる日、スワは一日中小屋にこもって髪を結い、ぐるぐる巻いた髪の根へ父親の土産の飾りを結び、焚火をうんと燃やして父親の帰りを待つ。木々のさわぐ音にまじってけだものの叫び声が聞こえる。「天狗や狢、山人などの登場は一つの≪悲劇性≫≪排他性≫を示し、何が起きても不思議ではない≪事件≫の舞台を用意する。」(飯沼氏からの引用)
 父親を待ちわびたスワは、わらぶとんを着て寝てしまう。ときどきそっと入口のむしろをあけて覗き見するものがあるが、スワはそれは山人が覗いているのだと思って、じっと眠ったふりをする。
 次は原文からの直接の引用である。
 
  白いもののちらちら入口の土間へ舞いこんで来るのがもえのこりの焚火のあかりで おぼろに見えた。初雪だ! と夢心地ながらうきうきした。

  疼痛。からだがしびれるほど重かった。ついであのくさい呼吸を聞いた。
  「阿呆」
  スワは短く叫んだ。
  ものもわからず外へはしって出た。
       (中略)
  滝の音がだんだんと大きく聞えて来た。ずんずん歩いた。てのひらで水洟を何度も 拭った。ほとんど足の真下で滝の音がした。
  狂い唸る冬木立の、細いすきまから、
  「おど!」
  とひくく言って飛び込んだ。 

 物語が結末に近づくほど、「語り」は民話の語り部のような調子を帯びてくる。語り手と作中人物の境界は、ますます見分けがつかなくなる。西欧の言語のように人称とか時制とか視点の厳しい規制がない日本語では、自在な語りが可能となる。このような日本語の特色を遺憾なく駆使した太宰の作品の叙法は、ほとんど散文詩のような趣きを持っている。
 語り手は次第に作中人物に同化してゆく。ナラトロジーの観点から、F.K.シュタンツェルの少々堅苦しい概念を適用すれば、「語り手の作中人物化」である。
 第4章の前半部では、語り手は滝に飛び込んだスワに完全に同化している。そしてスワの感覚や視点で滝の中を泳ぎ回る。しかしスワが大蛇に変身したのでなく、小さな鮒に変わったことを語るために、スワの視点を離れて本来の語り手の外的視点に戻って、小さな可愛らしい鮒が胸鰭をひらひらさせながら、小えびを追っかけたり、葦のしげみに隠れたり、岩角の苔をすすったりする可憐な様子を描写する。
 そして、鮒が何か思案するようにじっと動かなくなり、やがて何か決心したようにからだをくねらせながら滝壺へ向かって直進し、くるくると木の葉のように吸いこまれていくラストシーンは見事というほかない。飯沼氏は、この滝壺への直進を第二の投身と捉えている。
 飯沼氏は、『魚服記』における「禁忌(タブー)」として (1)色の白い都の学生が犯す自然の生態破壊(羊歯類の採取)(2)兄の帰らぬうちにヤマメを全部食べてしまった弟八郎の行為 (3)父親による娘の犯し(近親相姦)の三つを挙げ、(1)と(2)は、この物語の核心としての事件である(3)の伏線であるとしている。
 飯沼氏は、「疼痛」の二字のみで象徴されている「近親相姦」について、「簡潔に叙述される近親相姦の場面は、剰余のものをいっさい切り捨て、これ以上短くは描けないという感じのところまで短縮することによって、汚濁の印象を見事にふりはらっている」という笠原伸夫氏の表現を引用している。
 ナラトロジー的分析を好む私の見解では、父親による娘の凌辱は決して「疼痛」というような、どちらかといえば抽象に傾いた二字のみで表現されているのでなく、「からだがしびれるほど重かった。ついであのくさい呼吸を聞いた。」という決してあからさまではないが、感覚的・具体的表現からも明瞭にうかがえる。
 さらに付言すれば、スワが「おど!」とひくく言って滝に飛び込む場面も、なぜ「ひくく」という表現が使われるのか、一種の謎である。
 散文詩のような太宰の作品を読んでいると、オーストリアの詩人H.v.ホーフマンスタールのアフォリズムが思い出されてくる。
 ≪深みは隠さねばならぬ。何処へ? 表面へ。≫


 第2部 NHKラジオ・オペラ「魚服記」について 

 ここでは太宰の原作と橋本脚色の差異について、詳述したい。太宰の原作の構成は全体が4章から成っている。橋本脚色では、章立ては行われていない。便宜的に太宰の原作をA、橋本脚色をBと呼ぶことにする。AとBにおける最も重要な違いは、Bにおいては父親による「犯し」の部分が葬り去られ、幻想的非現実的な場面に置き換えられ、橋本氏自身の着想である「変身の祈り」を基軸としたスワの投身が導き出されている点である。この点をめぐっては、脚本家と作曲家とのあいだで、かなりのバトルが交わされたことは容易に想像できると飯沼氏は指摘している。
 一方で、飯沼氏は脚本家による脚色における「ナレーション」を、聴覚化された「魚服記」の大きな特色と捉え、不可欠の発想として評価している点も見逃せない。「ナレーション」の「短く、研ぎ澄まされた詩的な言葉は、原作の物語空間をあらたな聴覚的想像世界に飛翔させるとともに、音楽的イメージをも喚起させる重要な要素」であり、さらに「原作の見事な要約」と見ることもできるからである。
 作品Aにおける近親相姦の場面は、Bにおいては「山の霊気」によって犯されるという組み立てに変換される。ナレーションでは次のようになっている。「その夜中、スワの小屋に滝と岩と森と空とが訪ねてきた。滝と岩と森と空とは夜に乗り、透明な着物を着て藁蒲団の中のスワを脅かした。」これに続いてスワの「助けて、助けて、お父…」のセリフが発せられ、スワの「祈り」を語るナレーションへとつながる。「スワは狂乱の果てにいた。そうして心に祈っていた。オロチになりたい、八郎のように、森に抱かれ、滝や岩に親しまれるオロチになりたい…と。」
 それにしても、スワはなんのために祈らねばならないのか、そして己が身を滝壺に投じなければならなかったのか、この点についてAとBを比較するとき、Aのもつ論理的あるいは倫理的明快さに比べれば、Bでは必ずしも明確とは言えない。ともかくBの終幕をなす「雪の日・水の中」で、スワは歓喜にふるえながら叫ぶ。「おどう!見ろや、滝が呼んどる!スワはもうスワでねえ。おら、オロチになるだ、オロチになるだ。オロチに……あああああ…。」そして滝壺に身をおどらせる。
 気がつくと、スワは水の中にいる。オロチになった喜悦にスワは胸をつまらせる。だが、そこで動いているのはオロチではなく愛らしい胸鰭をゆらゆらさせている鮒だった。「水底にいたのは、小さな小さな鮒であった。」というナレーションで物語は終わる。
 この結末については、飯沼氏自身の言葉を直接引用しておこう。≪…「雪の日、つまりスワの投身は音楽(脚本)的クライマックスではあるが、それは全曲の「音楽的生成の頂点」であり、原作の文学的意味における頂点、即ち、スワが鮒に変身後、一考の後に再度滝壺に向かい、木の葉のごとく吸い込まれる…の持つ意味への切迫は放棄されている。つまり「小さな鮒」を到達の終点とし、その愛らしさ、可愛らしさのうちに曲を閉じているということになります。事実、作曲者の石桁氏は「幼なじみの滝壺に、オロチになるつもりで身を投げた山の炭焼きの娘。そして水底にはオロチならぬ小さな鮒が一匹。満ち足りた思いで尾鰭をふるわせていた…という物語」とのべている(初演プログラム)。≫そして、原作の読み手としての石桁氏のこのような解釈が飯沼氏の意を充たすものでないことを述べて、次のように続けている。≪できうるならば、「序」に託された多くのメッセージに優るとも劣らない「結尾」、…それは、愛らしい鮒の一瞬の後、再び己が身の変身を願望して滝壺に直進する「語られぬ結末」の暗示…の、凄まじい音楽が存在して欲しかった。事実、このラジオ・オペラ「魚服記」の結末は、水中の浄化されたスワの喜悦に共振してしまい、あたかも小願成就の感が残るのは残念です。≫
 橋本脚色における原作の重大な変更(近親相姦の消去)によって、おそらくスワの身に起こったであろう父親による凌辱の苦しみとか父親への怨念とかの情念は完全に捨象され、スワは「山の霊気」によって犯され、狂乱の果てに滝に身を投じてオロチとなり精神浄化を願うという志向性が物語の決定的な筋立てとなる。このような強引ともいえる変更を、本当に作曲家はそのまま素直に受け入れてしまったのであろうか。これは想像でしかないが、おそらくは壮絶なバトルの果てに、作曲家は橋本脚色を受け入れ、自らの根底にある思考や感情を音楽表現に託したのであろう。この辺の事情に関してさらに詳しい真実を知るためには、自ら作曲家でもあり、博学な読書家でもある飯沼氏自身の教えを求めるしかない。