瀬戸内地方への旅

  朝晩の冷え込みが強まってきた11月の末に瀬戸内地方へ旅行した。その昔名古屋に住んでいた頃、職場の同僚として親しく付き合った人を訪問するのが目的の旅だった。岡山までは「のぞみ」で早々と到着し、その後は迎えに来ていただいた車で後楽園などの名所を通過しながら、目指す邑久の町へと向かった。竹久夢二の生家で知られる邑久である。邑久にしてもそうだが、瀬戸内海に面した古い港町の牛窓も、万葉集に出てくる古い地名である。このあたりは三つの町が合併して現在は瀬戸内市となっているが、人口に比してその面積はかなり広大である。
   
      ≪竹久夢二の生家≫                   

 夢二の生家は小高い丘の下にあり、外見の割に中へ入ってみると、書き物机の置かれた書斎風の小部屋があったり、階段で高低差がつけられた部屋が続いて並んでいたり、意外と広い造りの平屋建てであることがわかった。近年記念館としてだいぶ整備されたらしく、多くの美人画のほかに掛け軸に書かれた山水画風の草花の絵や風景画などが展示されていて、興味をそそられた。それらの絵は、夢二独特の美人画からは想像できない別趣の印象を与えるものであった。
 夢二の生家への入り口のところには、次のような文を刻んだ石碑があった。
 
     泣く時はよき
       母ありき
     遊ぶ時はよき
       姉ありき
     七つのころよ                      

    

                            
                            ≪牛窓の町並みと                                牛窓の港風景≫
                      
                             

 光あふれる海辺の町、牛窓とはなんと懐かしさを誘う呼び名であろうか。牛窓は古い港町で、万葉集にもその名が見い出せるそうである。江戸時代、明治、大正と大変な賑わいを見せたが、今はその面影はなく、現在は≪日本のエーゲ海≫をキャッチフレーズにしてリゾート地として甦ろうとしている。江戸時代、参勤交代の大名や朝鮮通信使の寄港地として栄えた歴史を偲ばせる史跡や、だんじり小屋も見逃せない。    

 海辺に臨んだ牛窓のレストランで昼食をとってから、オリーブ園のある丘の上の展望台へのぼった。丘の上から眺める瀬戸内海の海の光は、きらきらと輝いて美しかった。


    
                            
                     ≪オリーブ園のある丘の上からの遠望≫
                      手前にフェリーの渡る前島が見える
    


                     


                     
                                                                                         ≪オリーブ園のある丘の上からの遠望≫
                       右手遥か遠くに屋島が望まれる




 


播州赤穂の町

 瀬戸内市からの帰途、赤穂線に乗り、赤穂の町で途中下車した。播州赤穂駅から南へ向かって街中を歩き、花岳寺、大石良雄宅邸長屋門、大石神社、赤穂城跡などを見学した。

 田舎すぎず都会すぎない“住むのにちょうどいい町赤穂”での定住はいかがですか、と赤穂市の企画課が呼びかけるほど、静かな雰囲気の漂う城下町らしい街並みであった。もちろん元禄赤穂義士の物語が、今なお人々の心の中に厳として生き続けている町でもある。
 再び訪れる機会があるかどうかも分からないので、ホテルに宿をとり一泊した。赤穂は塩の町として知られるが、お土産に塩味まんじゅうと赤穂塩を買った。瀬戸内で獲れる魚介類も美味しいと聞いていたので、牡蠣そばと穴重を賞味した。久しぶりに心から満足を覚えた旅であった。