≪栄村訪問記≫を読んで

     
 以下の文章および写真は、私の尊敬する作曲家(ブログ『信濃木崎夏期大学講義を聴講して』を参照)が、今年11月、長野市で開催される全国音楽教育研究大会の「研究演奏ステージ」で、栄中学校40数名の全校合唱が歌う新作合唱曲の制作を依頼され、その取材のため、作詞を担当する詩人と一緒に信州北端に位置する栄村を訪問した時の記録の抄録である。(数多く添えられた写真は栄村の全貌をとらえた貴重なものであるが、その中から1枚だけ選び、筆者自身がブログ用に少しだけ加工させてもらった。)
栄村は周知のように東日本大震災の直後である3月12日、震度6強の大地震に見舞われた豪雪の村である。

4メートルの積雪には圧倒されます。村全体が「雪の海に浮いて、漂揺してる・・・」といった感じなのです。昼も夕方も仄白く、夜も雪明かりの白い闇。すべてが停止し、眠りの底におかれているという感じなのです。よそ者の目には、いかにも夢幻的なのですが、人気(ひとけ)なく、時間の経過さえ定かでない静寂な世界から、幻想の衣をはぎ取られて現実に引き戻されると、そこは想像を絶する苦難の坩堝であるということが解ってきます。

ほとんどの家屋や施設、ライフラインは修復されたようで、震災直後のような直接的な爪痕は見られませんでしたが、本当は、壊された現実の細部や目に見えない傷心は、あの白魔に覆いかぶせられているのだ・・・と思いました。さらに、もっと根源的な問題として、すでに「限界集落」(集落の半数以上が65歳を越え、そう遠くないと思われる時期に消滅してしまうかもしれないと考えられる集落)という現実があるとの記載(宿舎においてあった地方史の冊子)を読むに及んで、そうした現実が、さらに今次の災害で痛みつけられ、村はその全てを自ら消滅させてしまうのではないか・・・という救いのない展望を、決して口には出すことはないのだけれど、そのような直覚的な思いを、現地に住む人々すべてが感じているのではないか・・・と想像し、宿のフトンのなかで、なかなか眠りにつくことができませんでした。根源の看過に気付かずに使われる村おこし、町づくり、ふれあい、やさしさ、支え合い、きづな・・・などという言葉が、いかに言語力を伴わない軽薄な概念、深慮を欠いた美辞麗句に過ぎないか、この、雪に浮かんだ無言の村の上をフワフワと、薄っぺらに彷徨っているだけではないか・・・と、思うと、ますます眠りが遠くなってしまいました。だれも手がつけられない歴史の流れの一点に置かれ、天命に張り付けられた人々の生、その前に、いま、どういうコトバが、どういうウタが、有り得ると言うのか・・・。

「ほほえみを明日に・・・」とか「夢いろの未来へ・・・」とか「つながろう愛の絆で・・・」とか「・・・・・」とか「・・・・・」などといった類の歌だけは絶対に創ってはならないと思いました。つい先だってNHKのラジオ番組で聴いた谷川俊太郎さんの話(概要の文責は筆者)を思い出しました。≪・・・まわりが思うほど簡単なものじゃないんだ。崩れたり、もぎ取られたりしたのは大地や家だけじゃない。コトバだって、歌だってバラバラにされてしまった。ヌケヌケと詩など書けない。もう一度、その人たちのボロボロに切りきざまれた、つまり襤褸(ぼろきれ)のコトバから紡ぎ直さなければならない・・・≫ と。

私も、今回、本当にそう思いました。一朝有事となると臍をかむような浅薄なコトバやメロディーで表面の同情を押し売りするようなことだけは絶対にしてはならない。この村のことを、軽い言葉で、浮いた節回しで歌ってはならないと、断固、そう思いました。新曲を歌う、純真で快活な栄中40余名の生徒たちには、その迸る若さと脈動する声で、「生命の輝きと清々しさの伝え手」になってほしい、それでいい・・・と思いま
した。

   無音の闇


この文章を読んでいて、私は荒川洋治が近著で展開している激烈な批判を思い浮かべた。今の詩人が熱心なのは、<保守的な仲間づくり><自己満足と自己陶酔の朗読会><うわべだけの国際交流>だという。荒川は、詩の世界から批判がほとんど消えたといい、ブームの朗読会も全面的に否定する。「文学言語を選び、闘ってきた詩にとって朗読は自殺行為だ。朗読を意識したら詩の言語が甘くなる。すぐれた詩には文字の中に豊かな音楽性があり、それで十分。文字を通して音楽性を感じる力が弱まったから声で演じたくなる。文字言語を通して考え、味わう力を詩人がすてたら詩に未来はない。朗読はやめて討論しよう」
東日本大震災の後に書かれた詩の言語についても、「大量の、しまりのない、たれながしの、ただの饒舌としか思えない詩が書かれ、文学『特需』ともいう事態を引きおこした。詩の被災だ」という。現在では詩に限らず言葉全体に奇妙な浮力(粟津則雄)がまといついて、言葉の重みを失わせているのだ。