≪思い出に残る懐かしい町々と人々≫

 1984年5月20日(日) フランクフルト空港に予定より一時間以上遅れて到着。Birgitがボーイフレンドと一緒に出迎えてくれた。彼女の車でBietigheimへ向かう。Schönes Wetter.新緑の野に咲く白いリンゴの花が眼を惹く。黄色い菜の花も眼に鮮やかだった。Autobahnを120キロのスピードで走る。BietigheimのBirgitの両親(Tomschi夫妻)は不在だったので、三人でAltstadtのレストランで昼食を取る。午後、再びBirgitの車でLudwigsburgのSchloßを訪れ、内部を見学する。さまざまな豪華な装飾を施した部屋や美術品など、興味深かった。5年前に来た時は、雨が降っていたため門の外から写真を撮っただけであった。
 5月21日(月)雨模様の天気。午後Herr Tomschiの車で、近くのWeinbergへドライブする。その後Herr Tomschiの案内で、Rathausや古いStadtmauerの跡を見る。
 5月22日(火)晴。小生のため休暇を取ったBirgitと車でStuttgartへ向かう。Schloßgarten, Neues Schloß, Altes Schloß, Fußgängerzoneなどを見て歩く。Staatsgalerieには沢山の充実した美術品コレクションがあって、とても短時間では見切れなかった。レストランでJugoslawisches Gerichtをprobierenしたが、結構美味しかった。
午後はFernsehturmへ登り、Stuttgart市街の美しい眺望を楽しんだ。NeckertalやSchwarzwaldも遠望できた。帰途Leonbergへ立ち寄り、Birgitの勤め先であるFinannzamtの建物も見せてもらった。昔はSchloßだったそうで、いかにも古めかしい感じの建築だった。すぐ隣りにUntersuchungshaft(刑務所)の建物があって驚いた。
 5月22日(水)晴。Frau Tomschiに送られて汽車でErlangenに向けて出発。午後1時過ぎにErlangenに着く。Studentenwerkの建物をようやくのことで探しZimmervermittlungに空室があるか尋ねる。Bietigheimから予め電話をしてあったので、話がすぐに通じアパートの一室(mit Küche u. Dusche)をあっせんしてもらう。Bismarkstr.にあるその部屋を見に行く。(下の4枚の写真は、エアランゲン市内)




Erlangenの町はそれほど大きくないのだが、初めての土地でもあり、またまだ宿が決まっていない焦りもあって、地図を頼りに見当をつけて歩くのだが、何度も迷い、ようやくのことで目当ての家を見つける。管理人に部屋を見せてもらい、それほど良い部屋でもなかったが、大学が近いことを理由に早速その部屋に決めようと思って、管理人から家主に電話をしてもらったところ、あいにく家主は不在でその日は契約を結ぶことができず、ホテルに泊まることにする。しかしErlangenのホテルは全部ふさがっていて、やむなくNürnbergに引き返すことにする。


Nürnbergもホテルは満員で、ようやくPensionの一部屋を世話してもらう。駅から歩いて10分程の所にある部屋にようやく落ち着く。重たいスーツケースを下げて右往左往したその日はまったくしんどい一日だった。
Pensionの家主であるFrau Kargに部屋探しで困っている事情を話したところ、Nürnbergの郊外に知人が住んでいて、その知人が空室を貸したがっているとの情報を伝えてくれた。ein Wohnzimmer, Küche, Dusche, Toiletteも専用で、おまけに家具付きで、家賃が月額280,00 DMという好条件であった。Frau Kargは初対面で、しかも日本人である小生に対し、言葉数は少ないけれども、実直で親切な人柄であった。



 5月24日(木)雨。午前中、Nürnbergの旧市内を見て歩く。Königstorturmのずんぐりした黒っぽい姿は、5年前と変わっていなかった。St.Lorenz教会、Hauptmarkt、
Rathaus、などを見ながらKaiserburgまで登って、旧市街を見下ろした。雨に煙って遠くまでは見えなかったが、赤黒い屋根が並んでいる中に教会の塔が点在する景色は、美しい印象を与えてくれた。(右の写真は、Kaiserburg、下の写真はNürnberg市街遠望)

夕刻Karg夫人とその娘さん、それに娘さんのボーイフレンドも加わって4人で貸間を見に行った。Mögeldorfの停留所から少し入った閑静な場所に、その家はあった。家主はHerr Wallfahrerで、夫婦とも気さくで親切な人たちであった。一人娘はもう結婚して家を出ており、夫婦ふたりで住んでいるその家のDachwohnungが貸室なのであった。部屋も広く、台所も使い易そうだったし、市電やバスの便がよく(歩いて10分位のところに停留所がある)、また近くに大きなKaufmarktがあって自炊に便利なことなどの条件を考慮して、結局(速断ながら)ここを借りることにした。Frau Wallfahrerは小柄だが働き者の奥さんという感じで、さしあたり必要な台所用具をいろいろ貸してくれて、大助かりであった。お陰で無駄なものを買わずに済んで、ずいぶん有り難い思いをした。

 5月25日(金)晴。午前中Erlangenに行き、Fülleborn教授に面会する。最初秘書のFrau Schmidtに用件を告げたところ、Prof.Füllebornは授業中とのことであったので、Frau Schmidtの部屋で待つことにした。Schmidt夫人は感じのよい中年の女性で、教授を待つ間なごやかに会話を交わすことができた。そして小生の下宿についてもFrau Schmidtがいろいろ心配して、手配をしてくれていることがわかった。しかし、すでにMögeldorfの住居に心の中ではもうほとんど決めていたので、一応自分でも部屋探しをしている旨話し、それでも念のためSekretärinのFrau Schmidtが紹介してくれた部屋を見に行くことにした。Institutから歩いて20分位の静かな森の中にあるその部屋を見る。

Prof. Fülleborn と面会。Prof. Fülleborn が助手のHerr Schlüer を紹介してくれ、彼と面談することになる。Erlangen大学滞在中の重要な案件、すなわち研究テーマについてSchlüer氏と話し合いをし、Stifterの"Bunte Steine"を研究テーマとして選び、そのErstfassung(初稿)とZweitfassung(最終稿)との比較を行なうことを決めた。小生が研究計画書に、A.シュティフター関係の事を書いていたことも、影響したのかもしれない。シュティフターの『石さまざま』に関しては、ドイツ語原文でも日本語訳でも当然読んではいたが、初稿の方はまだ目を通していなかったのは、うかつと言えばうかつであったかもしれない。ともかく研究テーマとしては、これまで見過ごしてきた問題でもあり、自分としてはやりがいのあるテーマだと感じた。Schlüer氏とは、その後も度々Institutで研究テーマに関して面談することになった。
(注記:このテーマに関しては、本ブログでも論じているので、別に詳しく扱うつもりである。)

Frau KargのPensionからMögeldorfの住居への引っ越しを無事終了する。
住居付近のgriechisches Restaurantで夕食をした際に、日本人が珍しかったせいか、比較的若い女性から話しかけられ、偶然な事であるがFrl. Käfferbitzと知り合いになる。その後もう一度彼女に会いたいと思い、別に下心はなかったが、6月11日(月)Pfingstmontag(祝日)の夜、彼女の家を訪ねた。彼女は、ボーイフレンド(彼女よりは歳は若い)と同棲していることが分かったが、三人で一緒にテレビで『007ロシアより愛をこめて』を観て楽しいひとときを過ごした。

 6月2日(土)今日から2週間、Herr u. Frau Wallfahrerは Urlaubで不在となる。
夕刻、近所のUhl夫妻の家を訪ねる。Wallfahrer夫妻を通して、このUhl夫妻と知り合い、懇意な間柄となった。とても親切で世話好きな方たちである。Herr Uhl80歳。Frau Uhl63歳。

 6月3日(日)晴。Frau Uhlの運転で、Fränkische Schweiz へドライブする。
Burg Veldensteinなど見物。Hartensteinの"Goldenes Lamm"で昼食をとる。驚いたことにFrau Uhlは、年齢の割にかなり大胆でAutobahnを140キロのスピードですっ飛ばした。
下の5枚の写真はいずれも Fränkische Schweiz の風景


[:image:medium:left]





(注記:ルートヴィヒ・ティークは1773年5月31日、ベルリンで綱作り職人の子として生まれた。ティークは、ハレ大学・ゲッティンゲン大学などで歴史や哲学、文学を学び、1793年に在籍したエアランゲン大学では終生の友ヴァッケンローダーと共に学んでいる。在学中にヴァッケンローダーと共に各地を旅行し、ニュルンベルクや風光明媚なフレンキッシェ・シュヴァイツバイエルン北東部などを巡っている。本ブログでは、いずれティークの名作『金髪のエックベルト』にも言及するつもりである。)
 6月6日(水)雨。Uhl夫妻とHallenbadで水泳をする。高齢のHerr Uhlには健康維持のためにも効果があるようだ。その夜はHerr UhlとOpernhausで"Der Opernball"を観る。時間は20:00〜22:30。
 6月7日(木)曇。Prof.Füllebornの授業,講演を聞いた後、Bambergへ向かう。ドーム、宝物館、旧市庁舎などを見た後、E.T.A.Hoffmannの住んだ家を訪れる。帰途、駅のレストランで飲んだRauchbier(燻製ビール)は先輩から聞いていた通り、噂にたがわずすこぶる美味であった。
 6月9日(土)ニュルンベルクで有名なSpielzeugmuseumを見学。劇場裏の映画館で、映画"Die Zauberflöte"を観る。
 6月10日(日)Pfingstsonntag. 晴。Mögeldorfの教会近くの広場でKirchweihの祭りがあり、見物に出かけた。屋台の店が並び、メリーゴーランドや乗馬などの小屋掛けがあって、沢山の親子連れが集まっていた。大きなテントが張られ、中では楽団が演奏の準備をしており、たくさん並べられたベンチに座って人々が大ジョッキ(1リットル入り)でビールを飲んでいた。少し濃いめの色をしたビールを注文して飲んだが、全部飲み干すのにずいぶん時間がかかった。すっかりいい気分になって家に帰った。まだ昼間のせいか、なかなか楽団の演奏が始まらないのは残念だった。
8時頃Uhl夫妻の家を訪ねる。庭に設けられたテーブルで談笑する。Kirchweihの賑やかな音楽が、いつもは静かなUhlさん宅の庭先まで聞こえてくる。Uhlさんの家の庭は奥が森に続いていて、とても静かである。野鳥のさえずりが始終聞こえ、ときどき庭の中の巣箱に鳥たちが餌をついばみにやってくる。

Kirchweihfest

Uhl夫妻と愛犬と一緒に。夫妻が留守の時には預かって世話をし、餌を与えたり、Wieseを散歩したりした。見栄えはあまりよくないけれども、おとなしく従順で利口な犬だった。















 6月12日(火) 快晴。
 Nürnberg12時56分発のインターシティでKasselに向かう。途中Bebraで乗り換え、16時47分にkassel到着。あらかじめ電話をしておいたので、Franzさんがホームまで迎えにきてくれていた。Franzさんは5年前とほとんど変わらず元気そうだった。列車がKasselに近づいたとき、車窓からWilhelmshöheの山の上にそびえ立つHerkulesの像が遠望できて懐かしかった。今までのどんよりした天気とは打って変わった素晴らしい好天だったので、Franzさんはこの天気は小生が持ってきてくれたのだと言ってくれた。Franzさんの新車で早速Vellmarの家へ向かう。Vellmarの町も5年前とほとんど変わっていなかった。見覚えのある懐かしいWeserstr.のFranzさんの家の前で車は停まった。ガレージが新設されたほかは、家も5年前と変わっていなかった。
 庭を通って勝手口の方へ回ると、そこにFranz夫人と娘のUlrikeが待っていた。5年ぶりの再会を喜び合い、庭先のテーブルでケーキとコーヒーをいただきながら、いろいろ語り合った。庭は芝生が美しく手入れされて、5年前より素晴らしくなっていた。Ulrikeもすっかり成長して娘らしくなり、背も高くなっていた。(19歳)すっかりくつろいだ気分になり、5年前の時よりもずっと打ち解けた雰囲気で、話がはずんだのは嬉しいことだった。夕方Franzさんと散歩をした後、夕食。Ulrikeは友人が遊びに来ていたため、一緒に夕食ができなかった。
 散歩の際のFranz氏の身の上話。戦争でチェコの農村を逃れてドイツへ来たこと。チェコへ移住したドイツ人の家系であること。フルダで教職の免許を取る。戦争中に負傷し、銃弾が今なお右の耳と目に間に残っている。手術はたいへん難しいのでいまだに弾を摘出せずそのままにしてある。Franz夫人はSchlesienの出身で、少しpessmistischであることを、彼はそれとなく小生に語った。Franz氏の気取らず屈託のない態度からは、戦争の傷跡を今なお背負いつつ生きている悲痛な経験をもちながらも、微塵もそのようなそぶりは感じられない。小生も話を聞いて、初めてFranz氏の不幸な運命を知ったしだいである。小生はご夫妻のことは何も知らずに、ただご親切に甘えてだけであるが、そんな自分が恥ずかしくなった。

 6月13日(水)曇ときどき晴。
 午前中はFranz夫人に案内してもらって、Brüder-Grimm-Museum, Neue Galerie, Deutsches Tapetenmuseumなどを観て回った。Franz夫人にはBrüder-Grimm-Museumの前まで連れて来てもらって、あとは独りで歩いた。5年前に来たときにはよくわからなかったが、kasselはなかなか美しい、そして緑の多い文化都市である。Museumはどれも入場料が無料であるのは驚きであった。
     次の写真は、Kassel: Wilmshöhe und Schloß

高台へ登ってHerkules像を望んだが、あいにく今日は曇っていて見えなかった。しかし南の方に広がる街並みとKarls-Aueの緑の美しさは格別であった。










 Franzさんの家に帰って昼食を済ませたあと、Franzさんの車でSababurgまでドライブすることになった。Franz夫人も同乗し、Fuldatalを抜けReinhardswaldの中の路を通ってSababurgを目指した。1時間足らずで目的地に着いた。Grimm童話の「いばら姫」の舞台ということで、近年は訪れる観光客も多く、城の一部がホテルに改築されて客を泊めている。城の廃墟の周囲に広がる緑濃いReinhardswaldの風景が印象的であった。自然公園の中に猪の親子や鹿の姿が見られた。
(下の3枚の写真は、いずれもSababurg)







Fachwerkhaus(木組み家屋)の美しい町

                     
Sababurgからの帰途、5年前にも訪れたことのあるHann.Mündenの町まで足を延ばした。Hulda川とWerra川が合流し、Weser川となる地点にできた美しい小さな町である。5年前、Franzさんの兄さんが住んでいるこの町を初めて訪れたときの印象があまりにも鮮明に深く心に残っていたため、そのことをFranz夫人に話したところ、もう一度Hann.Mündenの町を見ようということになったのである。
 しかし人間の記憶とは不思議なものであって、それは固定した一定の物体のようなものではなく、薄れたり、濃くなったり、常に変化をしている。一般に第一印象が最も強烈であって、第一印象の美しさを消し去ることは難しい。その時の条件にもよるであろうが、二度目に訪れたときの町の印象がそれほどでもなかったのは、不思議と言えば不思議である。町にあふれていた沢山の観光客のせいでもあったのだろうか。
 Franz夫妻と落ち合う場所と時刻を決め、独りで木組み家屋の家々がぎっしりと並んでいる町中を歩いた。HuldaとWerra両河の合流点にあるWesersteinにも行ってみた。


 6月14日(木)曇ときどき雨。Kasselを朝汽車で発って、午前10時過ぎにGöttinbgenに到着。Frl.Morimotoが駅まで迎えにきてくれた。彼女の案内で1時間ほどMarktplatzを中心に教会や大学の独文研究室などを見て回った。11時半にUniversitätsbibliothekの前でProf.Takanoご夫妻と落ち合い、Prof.Takanoの案内で30分程市内を見物した。さすがにGöttingenに永く住んでいる人らしく、教授は歴史上著名な詩人、学者たちが住んでいた家を一つ一つ指さして教えてくれた。
 それにしてもGöttingenには驚くべき多くの優れた学者、研究者、詩人たちが住み、ここの大学や研究所で勉強をし、数多くのノーベル賞受賞者を輩出したのである。
 Takano夫妻と別れた後、Frl.MorimotoとRatskellerで、昼食をとる。(Marktplatzにある古い建物のRathausの内部は,Takano教授の案内で前もって見学してあった。)落ち着いてしっとりした雰囲気のなかなか感じの良いRestaurantであった。さすがにTakano先生が勧めてくれただけのことはあった。Göttinger Marktplatzteller 16,80 DM.
 昼食後、駅までFrl.Morimotoに送ってもらい、好もしい感じの大学町Göttingenに別れを告げ、汽車に乗る。途中何を思ったか、自分でもよく説明できないがHann.Mündenで下車し、再度Hann.Mündenの町を散策する。小雨が降っていたが、木組み家屋の狭い路地を通り抜け、昨日は行きそびれたTilly Schanzeの塔まで林の中の小道をたどって登った。展望台から眺めたHann.Mündenの町は小雨に煙っていたが、何ともいえぬしっとりとした情緒につつまれ、昨日とはまた違った印象を与えてくれた。
                     (雨に煙るHann.Mündenの町遠望)

Hann.Mündenから日本の自宅へ電話をする。

夕食後Franz夫人がKirschbouleを作ってくれ、大きなどんぶりに入れたBouleを飲みながら、酔いも手伝って賑やかに談笑した。今までになく話がはずんだ。Ulrikeも写真を沢山見せてくれ、5年前のことなどもよく覚えていて、話に花が咲いた。姉娘(長女)のHeikeが勉学先のkasselから帰ってきて仲間に加わったので、よけいに賑やかだった。Heikeはkasselで絵の勉強をしているとのことだった。初対面だったが、Franz夫妻から度々話を聞かされていたので、ようやく知り合いになれて嬉しかった。
Bouleの酔いがきいたのか、翌朝は9時近くまでぐっすり寝てしまった。
 6月15日(金)曇。Franzさんが午前中に授業を終えて帰ってくるので、昼食後Weser川沿いにあるHöxterのKloster Corveyへドライブすることになった。小生は今日中にNürnbergへ帰るつもりであった。Franz夫人も同乗し、三人でCorveyをめざした。Weser川沿いに美しい町々を通りぬけ一時間ほどでHöxterの町に着いた。Schloß Corveyは Höxterの町から少し脇へ入ったところにあった。SchloßとKirche(修復中)があり、ドイツで最も古いBenediktiner Abteiのひとつである。Schloßの内部は美術館になっていて、さまざまな美術品が展示されていた。教会は修理中であったが、内陣は実にすばらしい建築でHochaltarは目を見張るほど見事であった。教会の裏手にドイツ国歌の作詞者であるHeinrich Hoffmann von Fallerslebenの墓があった。Corveyをあとにして、Franz夫人のいとこ(Vetter)の経営するCaféに寄り、コーヒーを飲んでから帰ろうということになった。しかしなかなか目的地に着かず、何度も道を間違えたりしてかなり遅くなってからSalzuflenのいとこのCaféにたどりついた。Salzuflenは温泉の出る保養地として有名で、Bielefeldの近くにある。この辺りは高級住宅地でもあった。確かにCaféの附近は立派な一戸建の家が並び、いずれも手入れの行き届いた広い庭をもっていた。
  (次の写真は、Kloster Corvey、その内陣、Heinrich Hoffmann von Fallerslebenの像)



 
 残念ながら、夕刻近くこんな遠くまで来たのでは、今日はもうNürnbergへ帰れないことは明らかだった。これは明らかにFranz夫人が仕組んだ作戦なのかもしれなかった。彼女はしきりにもう一泊して明朝早く帰るようにとすすめていたから。Franz夫人のいとこの家族も皆親切な感じのよい人たちだった。コーヒーと美味しいケーキをごちそうになり、Salzuflenの町を出発して帰途についた。雨模様の天気だったが、変化に富んだ風景は見あきることがなかった。西にTeutoburger Waldも遠望できた。
 Franzさんは学校が休みでないのに、午後は毎日車を運転して小生をドライブに連れていってくれ、さぞ疲れたことだろうといささかすまない思いだった。帰宅後、Ulrikeも加わって4人で2年前に亡くなったFranz夫人の母親(Ohma)の墓参りをする。今日は亡くなったOhmaの誕生日ということだった。墓地には交通事故で死んだ青年や自殺した少年、麻薬で命を失った娘などの痛々しく新しい墓も見られた。
 6月16日(土)曇。今日は少し肌寒いくらいだった。朝6時に起き、出発の準備をすませた。朝食後、FranzさんとUlrikeがKasselの駅まで送ってくれた。Franz夫人が汽車の中で食べるようにと、いろいろ差し入れしてくれ、有り難かった。7時28分発のInter-CityでKasselをあとにした。ホームで二人は手を振ってくれ、こちらも身をのりだして手を振り別れを惜しんだ。Franz家の人たちの心の暖かさが身にしみて、涙が溢れそうになる。

Die Zeit ist bei Fam. Franz, so scheint mir, viel schneller vergangen als in Nürnberg. Eine familiäre Atmosphäre bei Fam. Franz lässt mich wahrscheinlich so fühlen. Während des Aufenthaltes in Vellmar konnte ich mich von einem etwas melancholischen geistigen Zustand völlig erholen, der vom manchmal langweiligen und einsamen Alltagsleben in Nürnberg herkommt.
Kassel ist eine der schönsten Städte in Deutschland. Die hessische Landschaft mit den Mittelgebirgen macht mir einen etwas anderen Eindruck als die in Bayern. Die Leute in Hessen sprechen meistens Hochdeutsch, nicht Dialekt.


夜8時半、Uhlさん宅を訪問。Erdbeerenbowleをごちそうしてもらう。たくさん飲み過ぎて少し酔いがまわる。10時半頃Uhl氏と散歩に出、そのあと帰宅。

 6月17日(日)Wallfahrer夫妻が2週間のUrlaubから帰ってくる。Urlaubといっても、Frau WallfahrerのBruderの家に出かけ、そこで滞在して仕事を手伝ったり、独身のBruderのために身のまわりのこまごました世話をしてやるのが目的だそうである。それにしてもWallfahrer夫妻は両人とも働き者である。奥さんは8月31日付をもってSiemens社を定年退職になるそうである。(55歳)

 6月21日(木)Uhl氏とOpernhausへ"Madam Butterfly"を観に行く。19:30〜22:05.あらかじめ台本を読んでおいたので、内容もよくわかり楽しかった。Frau Uhlに車で送り迎えしてもらう。