≪Venezia≫

 8月23日(木)晴
 今日はVeneziaへ向けて出発する日であるが、早目に宿を出、駅へ荷物を預けてPalazzo Pittiへ行く。昨日見れなかったGalleria Palatinaを見るためである。美術館を見たあと
Firenze発10時52分の汽車に乗る。
 14時31分Venezia(S.L.)着。
 駅前から船(水上バス)に乗り15分ほどでRialto橋に着く。Veneziaに着いて受けた印象はなんとも形容できぬほど新鮮で強烈だった。いまだかつてどこでも見たことがないような都市の姿。全体が水の上に浮かんでいるような夢の町。
 船の両側に見える大運河の岸辺の家々は、どれもこれも素晴らしい装飾に身を凝らした美しい建物である。だが水際を見ると、水に浸蝕されたコンクリートの土台がいかにももろそうに見え、危うい感じである。水の上の建物が立派であるだけに、水際に見える土台の浸蝕が気になるのである。
 宿泊予定のホテル("Hotel Rialto")はRialto橋のたもとにあって、すぐ目についた。


 宿の部屋は3階にあって、大運河に面している。部屋の窓からは大運河をゆきかう船とリアルト橋がすぐ目の前に見える。上り下りする船と、それをリアルト橋の欄干にもたれて眺めている観光客たち。ホテルの窓のすぐ下をゆききする人々。これらの情景を眺めるのは、またとなく楽しい気晴らしであった。

 夜遅くまで運河をゆきかう船のエンジンの音、ホテルの前を歩く観光客の話し声や足音が、窓越しにたえまないさざめきのように聞こえてくる。


 ホテルから迷路のような道を抜けて、サンマルコ広場に出たときの印象も忘れられない。広場をとりかこむ堂々たる建物。広場を埋めつくす沢山の観光客と群をなす無数の鳩。ホテルのレストランで夕食に食べた魚料理(Seeforelle)がおいしかった。フロントの若い男が片言の日本語をしゃべって小生を喜ばせた。愛想がよく、なかなか感じのよいトニー・カーチス風の好青年。

 8月24日(金)曇のち晴
 朝方はあいにくの曇り空でGewitterがあった。午前中はあまり天気は芳しくなかったが、幸い午後からは回復して晴れ間も見えた。午前中はGallerie dell'Accademia(アカデミア美術館)を見る。地図を頼りに迷いながら、大運河の対岸にあるSanta Maria Gloriosa dei Frariまで足を延ばす。

 帰りはリアルト橋のたもとに出、橋を渡ってホテルに帰る。
 午後はBasilica San MarcoとPalazzo Ducaleを見たあと、天気が回復したので、Campanile(大鐘楼)にエレベーターでのぼる。Firenzeほどではないにしても、ここからの町の眺めはやはりすばらしい。


 8月25日(土)雨のち曇
 朝からあいにくの雨だった。
 Museo Correr(コッレール博物館)を見物する。
 午後になって雨がやむ。船でFerrovia(Venezia駅前)までゆき、大運河遊覧の船に乗ってサンマルコ広場まで行く。暇つぶしに再び大鐘楼にのぼる。
 夕刻Terattoriaで、FischsuppeとThunfischの焼いたもの、それに貝入りのソースを添えたスパゲッティを食べる。白ワインを半リットル飲む。なかなか美味であった。
 夜遅く大運河からゴンドラの船頭の歌声が聞こえてくる。ホテルの下の道路も、リアルト橋もゆきかう人々の足音や話し声で賑やかである。
 ホテルの一室でこうした物音を聞いていると、ひとり旅の寂しさも忘れてしまう。

 8月26日(日)晴
 昨日とはうってかわって上天気。
 朝6時40分頃ホテルを出て、リアルト橋から船に乗りVenezia(S.L.)駅へ向かう。
 運河の両岸の家並を眺めていると、これでVeneziaを去るのか、という感慨が湧いてくる。今まで感じたこともなかったような旅情である。
 Venezia発7時25分のRapidでVeronaに向かう。この汽車に乗るために、Veneziaに到着した日(23日)に座席の予約をしたのである。
 9時01分Verona着。ここで下車し、10時30分発のBolzano行きに乗りかえる。12時過ぎBolzano着。Bolzanoでさらに乗りかえ、Meranoに向かう。Merano(ドイツ語名Meran)では日曜日だったためもあるが、宿探しにさんざん苦労する。駅構内のInformationでは宿のあっせんをしてくれず、駅前に停車中のTaxiの運転手に聞いてみろという。

    ………………………
 困りはてて構内をうろうろしている小生の姿を見るに見かねたタクシーの運転手が空室表示灯の出ているホテルに電話をしてくれて、空室があることがわかり、タクシーでそのホテルへ向かった。だがそこのホテルのフロントは、裏隣りのホテルへ行けという。隣りのホテルへまわってみると、名前はHotel Gloriaとなっているがペンション風のこじんまりした宿だった。そこのおかみさんは親切な人で、部屋探しに2時間ぐらいかかった事情を話すと同情してくれ、早速ベッドの二つある部屋(Zweibettzimmer)に案内してくれた。広く静かな環境の部屋だった。Duscheはなかったが、一泊だけなので我慢した。

 おかみさんに道を聞いて再び駅までゆき、お金をリラに換えた後、Meranoの町を散歩した。北の方角に南チロルのアルペンが連なり、町の中をパッサー(Passer)川の清流が流れ、ちょうど上高地のような自然環境である。町のプロムナードは保養客、観光客であふれていた。観光地の例にもれずMeranoの町にも近代的な建物のホテルが次から次へと建てられているのは残念だった。
 北の連山(Texelgruppe)の奥の山の中腹に少し残雪が白く見え、町の教会の塔と美しく調和していた。
 南チロル州はかつてオーストリア領であったという歴史的・社会的背景があるため、タクシーの運転手にしても、宿のおかみさんにしても、この土地の人々は誰でも母国語のイタリア語はもちろんのこと、ドイツ語も流暢に話すことができる。
 夕食は、駅構内のセルフサービスのスタンドで食べた。南チロルでは、イタリア語のほかに必ずドイツ語による表示も添えられている。



(右上の写真は「チロル」という地名の由来となったチロル城。メラーノ近郊のチロルにある。写真はWikipediaより。)

 ≪Merano(Meran)≫
 


 8月27日(月)晴
 8時に食事をし、一泊15,000リラではあまりにも安すぎると思ったので、おかみさんに2,000リラをよけいに渡すと、喜んで礼をのべた。朝食のパンやチーズ、コーヒーも今まで食べたどこの食事よりもおいしかった。一般にイタリアのホテルの朝食は非常におそまつである。宿の娘さん(12,3歳)が、日本人が訪ねてきたのは珍しかったとみえ、別れ際にわざわざ握手をしにきて「さようなら」を言った。名刺を渡して宿を去る。Meranoの駅のプラットホームから見るAlpenの山々は朝日を受けて実に美しかった。









 Merano発9時26分のFrankfurt行の一等車に乗る。Bolzanoから列車は20輌編成位の長い車輌を連ね、Brennero(Brenner)峠まで深い山あいの軌道をあえぎあえぎ登ってゆく。Innsbruckを経由し、予定より20分以上遅れて午後4時半すぎにMünchenに到着。Münchenで下車し、17時15分発のICに乗り換えNürnbergへ帰る。
 Uhl夫妻は今日から2週間のUrlaubの旅行に出かけた。


 注記:Hotel Garni "VILLA GLORIA"(Familie Birke)empfiehlt sich wegen seiner zentralen, aber ruhigen Lage, ganz besonders für einen unvergeßlichen Urlaub in Meran. ホテルのVilla Gloriaからはその後、数年にわたって毎年保養と観光のために再訪をすすめるパンフレットが送られてきた。