カフカの『城』とは何か。(続稿)

               

 ウイリー・ハース著(原田義人訳)『文学的回想』の第一章「古いプラークのさまざまの秘密」の中で、ハースはカフカについて次のように語っている。少し長くなるが、引用してみよう。

 私はマックス・ブロートを通じて、フランツ・カフカを知る。
 フランツ・カフカは、そして彼だけが、二、三の断片的ではあるが壮大不滅の画像のうちに、特に『審判』と『城』とのうちの、私たちの青春の世界を集約し、組み立てたのである。これらの作品が二〇年後、カフカの死後に彼の意志に反して出版されたとき、私はそれらを読んだが、それは人々が自分の青春の全く慣れ親しんでいたパノラマを読むようなものであった。そのパノラマのうちでは、どんな街の隠れた片隅、街角、どんな埃っぽい廊下、どんなみだらさ、どんな微妙な遠回しの暗示でも、すぐにそれとわかるのである。
 カフカはたしかに、私たちが言うべきでありながら言わなかったこと、言うことができなかったことを、すべて言い尽した。この点が私にとっては彼の天才というものだと思われる。……だから私には、カフカの作品について書かれた実存主義的なのやら非実存主義的なのやら何千というエッセイの一つとしてわからない。その理由は、つけ加えられるどんな言葉も余計なものであり、全く表面にすでに含まれている内容に──またどんな別な深い次元に含まれている内容にも──ただヴェールをかけてしまうだけだからである。……プラハに生まれなかったような、そして1890年か1880年ごろに生まれなかったようなだれかが、彼のことをおよそ理解できるなどとは、私にはとうてい思えない。

 ここで、チェコの偉大な女流作家ボジェナ・ニェムツォヴァーの小説『祖母(おばあさん)』について考えてみよう。この作品が厳密な意味で歴史小説と言えるかどうかはともかくとして、文学史家は著者ニェムツォヴァーの若い頃の生活が本当に物語の筋書に対応しているかどうか、たとえばプロシェク一家が本当にスタレー・ビェリドロに住んでいたかどうかといった問いを出すことができる。しかし読者にとっては、著者がそもそもその作品が自分の幼年時代の経過についてのドキュメンタリー的報告として理解されることを望んでいるかどうか、あるいは望んでいるとすればどの程度に望んでいるか、という方向においてしか、真実性に対する問いは起こらない。しかし読者にとって作品がもつ本当の意味は、作品を包みこんでいる感情とか想像力の雰囲気全体なのである。その意味で、文学の「虚構」は、伝達の報告文とは全く別のものなのである。たとえば、ドストエフスキーの『罪と罰』を思い浮かべてみよう。ラスコーリニコフという学生についての事件が実際に起こったかどうかという問いは、読者の関心の外にある。だがしかし読者は、この小説から強い連関を感じ取る。もちろん小説が語っている関連、すなわち十九世紀のある時期に、ロシアのある場所で起こった出来事に対する関連ではなく、読者自身の身辺から知っている現実、読者自身が体験したかあるいは読者自身が体験するかもしれない諸状況に対する関連、そしてこの諸状況に伴っていた、あるいは伴っている諸感情や意志の動きに対する関連である。読者がある小説に強く激しく呪縛されればされるほど、その小説をめぐって、単に一つの現実が位置づけられるのではなく、たくさんの現実が積み重ねられる。作品が読者の想像力を深く捕えれば捕える程、読者にとって実存的に意味深い諸現実の領域が大きくなる。
 これはムカジョフスキーの理論の借用であるが、論旨を分かりやすく言い直せば、記号としての芸術作品は、それが直接叙述している現実を直接的に読者に示唆するものではないが、しかし記号としての芸術作品は、読者の体験した、あるいは体験するかもしれない諸現実を、そして読者の価値観を含む世界全体に通じうる現実をも間接的に示唆しうる力をもっているのである。
 たとえば、前景の(虚構の)諸人物や諸事件と、背景の(現実の)諸人物や諸事件との間の関係が重要である小説の場合を考えてみよう。ボジェナ・ニェムツォヴァー(一八二〇?─一八六二)は、チェコの伝説や民話を積極的に収集して出版し、後には国民的な作品として賞賛された作品『おばあさん』を発表して、チェコを代表する散文作家となった。ニェムツォヴァーは、出自が不明とされているが、公爵夫人ヴィルヘルミーネ・フォン・ザーガンの姪という説もあるが定かではない。何度かの結婚に失敗したヴィルヘルミーネは、多くの貧しい少女たちの里親になり、ボジェナ・ニェムツォヴァーも彼女に引き取られて庇護を受けたといわれる。ヴィルヘルミーネは、シレジアとの国境に近い北ボヘミアのナーホトにあるラティボジツェ城を夏の居館として住んだ。美しく知性豊かな彼女はメッテルニヒと恋仲になり、彼の愛人となるが、一八一三年のオーストリアプロイセン、ロシアによる反ナポレオン同盟は、ヴィルヘルミーネの夏の居館であるラティボジツェ城で成立した。ニェムツォヴァーは、一八五五年に発表した小説『おばあさん』の中で、聡明で思慮深く、理解力に富んだヴィルヘルミーネを理想の公爵夫人として描いている。
 それから七〇年後、ラティボジツェの居館と谷間の村は、フランツ・カフカの大作『城』の舞台となった。(チェコ語にも通じていたカフカは、ニェムツォヴァーの『おばあさん』を原文で愛読した。マックス・ブロートによれば、この作品の影響がカフカの代表作の一つである長編『城』の構成に見られるそうだ。)しかしカフカは、牧歌的で幻想的で魔法や昔話や深い教訓に富む物語『おばあさん』の理想郷をミステリアスな世界へと変貌させ、全面的にその美的価値を失効させた。公文書がいっぱい詰め込まれた城の官房、主人公につきまとう正体不明の助手たち、得体の知れない役人や使者や従僕たち、酒場の女と同棲しながらの村での生活、いっこうに門を開こうとしない《城》といったグロテスクな世界が現出する。
 すでに述べたことであるが、カフカは『城』の初稿を、最初ほぼ四〇頁にわたって一人称形式で書いたが、その後主人公の「私」に代わってKという人物を登場させ、三人称形式に書き換えている。自分の目の前にある村や城のミステリアスな雰囲気を描くにあたって、カフカは人称形式の変更、つまりは小説の叙法の変換を迫られたのである。

 ここでモーリス・ブランショの『城』の物語の読解を紹介しよう。
 チェコの女流作家ボジェナ・ニェムツォヴァの小説が物語るのは、「城」とそれに従属する村との困難な関係である。両者の懸隔を最初に告げるのは、村ではチェコ語が話されているのに対し、「城」ではドイツ語が話されている点だ。「城」を治めているのはひとりの王女で、彼女はとても心優しい人物だが、彼女に近づくのは容易ではない。彼女と農民たちの間には、嘘つきの召使たちや、狭量の官吏たちや、偽善的な役人たちといった不吉な一団が介在しているのである。ここで注目すべきエピソードが挿まれる。ひとりの若いイタリア人の廷吏が、宿屋の美しい娘クリステルを追い回して執拗にみだらな誘いかけをする。クリステルは自分が堕落したように感じる。彼女の父親は実直だが臆病な人間で、「城」の人々に対しては何の働きかけもできない。王女は公正な人だが、会うことも、話を聞いてもらうこともできない。その上彼女はしょっちゅう留守で、そもそもどこに住んでいるのか誰も知らないのである。クリステルは自分を罪深い人間であると感じるようになり、自責の念にかられる。唯一の希望である他の役人たちも、救いの手を差し伸べてくれることはなく、あてにはならないことが分かる。
 ところで驚くべきことに、あの不届きな廷吏の名前はソルティーニ(カフカの作品『城』に登場する村の有能なイタリア人の役人ソルディーニを思わせる)である。しかしボジェナ・ニェムツォヴァとカフカの両作品は、似ても似つかぬもので、二作品の相違は極めて大きいと言わねばならない。チェコの物語は、牧歌的な物語である。この物語の中心人物である祖母は、呪文を打ち破り、様々な障害物に打ち勝って、王女のもとに辿り着き、彼女から正義の裁きと、迫害された者たちへの償いを手にする。つまり、彼女はKが失敗するところで勝利を収めるのであり、彼女は、Kが拒否し、そもそも引き受ける能力も持たなかった、正義の騎士の役どころを演じているのである。
 カフカの作品における決定的な、そして最も謎めいた発明は、「城」ではなく「村」に関わるものだということである。もしKが祖母のように村に属していれば、彼の役割は明らかで、上流階級の不正に終止符を打とうと決意した反逆者であるにせよ、救済者であるにせよ、その人物像も明白だろう。しかし、Kは第三の世界からやって来るのだ。彼はニ重にも三重にも異質である。「城」の異質さに対しても、村の異質さに対しても、彼自身にとっても異質なのである。[モーリス・ブランショカフカからカフカへ』(山邑久仁子訳)、「木の橋」原註3参照]
 ブランショは、カフカの『城』とは、空白=謎が果てしない注釈の欲望を掻き立て、注釈が更なる注釈を呼び寄せ、作品が注釈の可能性を巡る物語(レシ)に他ならないことを指摘する。『城』におけるKの遍歴の本質は、場所から場所への移動ではなく、注解から注解へ、注釈者から注釈者へ移動して、彼ら一人一人に情熱をこめて耳を傾け、自らも参加し、全員と議論する、いわゆるにタルムード的弁証法という技法である。それは、数千年に及ぶユダヤ教の古い伝統に基づく始原の「書物=聖書」の言葉を求めての遍歴である。注釈の可能性が無限に続く限り、この『城』という書物が未完のまま、完成し得ぬものとして中断されるのは、当然の帰結といってもよいかもしれない。