カフカの『城』とは何か・・・『城』を求めての果てしなき旅(続稿)

 本稿では、原田義人氏による「世界文学大系58」(新潮社)所収のカフカ解説をほぼそのまま引用しながら、改めてカフカという作家像および作品の真実に迫りたい。筆者の判断で省略した部分もあることをお断りしておく。太字による強調は、筆者自身によるものである。

 カフカ自身は生前わずか数冊の小品・短編を発表しただけであり、彼は遺言によって未完の長編も含め、一切の遺稿の破棄を要求したのであった。知られる通り、その遺志に反して、三つの長編遺作をはじめとしてすべての断片を整理刊行したのは、彼の親友であった作家マックス・ブロートであった。原田氏が言う通り、彼の熱意と傾倒とがなかったならば、とうてい今日のカフカ像は結ばれずに終ったにちがいない。ブロートは彼の『フランツ・カフカ伝』(増補版)において、カフカの死後、遺作を出版してくれる大出版社を見出すことがむずかしかった、と述懐している。そこで、それらの作品に対する著名作家の関心を喚起しようとしたところ、ゲルハルト・ハウプトマンは「残念ながらカフカという名前はまだ聞いたことがありません」と答えたという。
 今日、カフカに関するおびただしい数の文献やカフカ解釈がある。しかし、カフカ解釈の一つの大きな柱は、いうまでもなくブロートのものである。ブロートは熱狂的なユダヤ主義者であり、その立場からのカフカ解釈は一面的であるとして多くの人びとから激しい攻撃を浴びた。彼は『カフカの信仰と思想』という著者の序文において、カフカの正しい解釈のためには、アフォリズムにおけるカフカと、物語作品(長・短編)におけるカフカと、この二つの流れを区別しなければならない、という。彼によれば、アフォリズムカフカは人間のなかの「破壊されないもの」を認識し、世界の形而上的な核心に対して積極的で信仰的な関係をもっている。この面ではカフカは、人類に対していうべき積極的な言葉、一つの信仰、各人の個人的生活を変えるようにというきびしい要求、を述べているのであり、トルストイの思想と密接な関係をもっている。一方、小説および物語のカフカは、恐れと孤独感とのうちでさまよっている人間、つまり、アフォリズムや日記のなかで語っているあの「破壊されないもの」を失った人間、信仰において確信をもてなくなり、錯乱(さくらん)している人間、を示している。この両面を理解しなければ、カフカを理解することができない、とブロートは言うのである。                     
 ここで、二つの問題が出てくる。第一は、カフカの作品は文学作品として完結したものと見ることは許されないのか、ということである。第二は、従来カフカアフォリズムは十分にわれわれ読者の前に提供されていなかった。数多くの遺稿や日記や書簡が公刊され、全集がほぼ完結したのは、比較的新しいことである。第一の点に関しては、いわば文学上の永遠の問題であり、ブロートの解釈に対する多くの批判はまさにこの点に集中されているといってよい。第二の点についていえば、カフカ研究の大きないとぐちがやっと開けたばかりであり、この領域はまださまざまな問題を解決されぬままに残しているのである。
 ブロートは右のような主張にもとづいて、フランスの実存主義者流のニヒリズム的解釈に反対し、さらにカトリック的解釈を不十分であると批判する。つまり、ニヒリズム的解釈はカフカから超越者に根ざしているという核心を取り除いてしまうものであり、カトリックないし過激なキリスト教的解釈はカフカを超越者だけに還元し、カフカがきわめて崇高な意味において尊重していた積極的な現世の力を没却するものである、というのがブロートの批判の骨子である。
 ここでブロートが批判しているニヒリズム的解釈、またキリスト教的解釈というものは、カフカ解釈の重要な二つの柱である。前者は文学的に生産的であり、後者は思想的に意味が大きい。いわゆる「不条理の文学」の先駆者としてのカフカは、きわめて大きな影響力をもっており、すでに多くの模倣者さえ現われるにいたっている。カフカの文学は宗教的な寓意性を見出すのに好適なものがあり、ニヒリズム的解釈なるものもいわば裏返しの形でその問題とかかわりをもってくる。ところで、最近のカフカ研究の動向を見ると、まず実証的研究の分野での仕事が目立つ。これは一つにはカフカの作品を文学としてながめようとする志向と表裏するものである。
 今日のもっともすぐれた深いカフカ研究家の一人であるケルン大学のエメリヒ教授などは、「原稿の写真版を調べたが、文章記号の疑問や読みにくい原稿の読みちがえによって起ったきわめて少数のあやまりのほかには、意識的に変更を加えた原文侵害というものはどこにも見あたらなかった」といい、「ブロートは多くの点で批判的でないやりかたをしたかもしれないが、もともと刊本ということに明るい文献学者ではないのだから、やむをえない。ちゃんとしたテキストを刊行しようとする彼の誠実な努力は何びとも否定することができない」と、いっている。いろいろ問題はあるが、まずこのエメリヒのいうところあたりが穏当といえるだろう。
 フランスのサルトルカミュブランショバタイユなどのカフカ観はたしかに興味深い。しかし、これらはすでにいずれも邦訳もあるので、ここではふれない。カフカ文学の解釈でとくに根本的な問題をついていると思われるのは、前に述べたエメリヒである。彼はある比較的短いエッセイのなかで、次のように述べている。カフカの短編や長編を読むとき、われわれは異様な世界のなかへ入りこんだような感じに打たれる。この世界で起こるできごとは、空間・時間によって規定された外的な現象界ではありえないことであるし、われわれにはまるで夢のなかで出会うことのように思われる。しかも、それはけっしてはっきりと夢だといって受け取ることはできない。外的な現象界と直接つながっていて、実際の夢のように意識下の連想によって進行するものではない。こうして、時間と空間、原因と結果、というような経験的な秩序は、ここには見られない。むろん、過去の多くの文学においても、文学は現実を超えた理念的な虚構の世界として理解されてきたのであり、その世界ではあらゆる経験的な自然の現象はより高い精神的な意味づけの下に置かれているか、あるいはそれ自体が象徴となって、一つの精神的秩序の意味を担っている。そこで、カフカの描くできごとの背後にその精神的意味を求め、いったいそれは何を意味しているのであろうか、と考えてみる。けれども、その場合にもやはりうまく解釈はできない。カフカの文学のなかでは、できごとの意味は絶えず反省され、説明されて、はっきりと分析されている。しかし、そうやって獲得された意味が、たちまち作品のなかで疑われ、斥(しりぞ)けられている。そこで、精神的な意味づけを求めようとすることが不可能となってしまう。しかも、それは二重に不可能である。第一に、カフカの文学においては、城は天上とか恩寵(おんちょう)の場所を表わし、その下の村は人間界を表わしている、というような、いわば比喩(アレゴリー)としての暗示を読み取ることはできない。ここでは、従来の比喩的な文学におけるように、感覚的に知覚できる現象と精神的な意味とのあいだにはっきりした関係があるわけではないからである。第二に、カフカの文学は、古典主義またはロマン主義のいう意味での象徴性を含んでいるものでもない。つまり、ゲーテがいったように特殊のなかに普遍を表わしているものでもなければ、またノヴァーリスなどのロマン派文学のように、自然が精神と化し、精神が自然と化すというふうに無限に高まっていく過程を表わしているものでもない。描かれているさまざまなできごとの意味のつながりが否定され、ついには現象そのものが疑われているのである。こうして、カフカにおいては、現象界も芸術作品の意味構造も破壊されているように見えるため、読者は異様な感じと困惑した感じとを抱かないではいられない。過去の芸術においても、グロテスク、諷刺、ヴィジョン、夢の文学などのように、表われる事象やイメージを破壊するとか、それを変形する(デフォルメ)ということはあった。そして、こうしたゆがみに出会うと、読者ははじめは違和感や嫌悪感をひき起こすことはある。しかし、そうしたグロテスクや諷刺やヴィジョンの意味をひとたびつかみさえすれば、そうした違和感や嫌悪感は快感や驚きや讃嘆へと変っていく。しかし、カフカにおいては、そうした意味はついにとらえられずに終わるため、迷路のような無意味さのなかにまきこまれたという麻痺感に襲われてしまう。
 それでは、カフカの文学をどういうものとして理解すべきであろうか。カフカの形象の世界は、いわば人間存在そのものを表わす詩的な象形文字なのである。一定の世界観的、神学的、倫理的、社会的、政治的なさまざまな理念を感覚的な事象とか行為とかのうちに具体化し、それらの理念に詩的な形態を与えようとするものではない。また、それとは反対に、われわれがすでによく知っている空間・時間的な現実、あるいは精神的な現実を、できるだけいきいきとほんものらしく描写し、そうした現実の意味を啓示したり、解釈したりしようというのではない。むしろ、希望と絶望、真実と虚偽、罪と無罪、自由と束縛、存在と非在、信仰と懐疑、生と死、知と無知、現世の生活と来世の生活、といったようなさまざまな対立の不断の緊張のうちに置かれている人間存在そのものが、イメージと精神的な表現とのうちに形態化されているのであり、もしそうしたものが矛盾にみちた緊張、人間的なさまざまな対立の同時的な並存を忠実かつ真実に反映されるべきものであるならば、どうしても逆説的に形態化されなければならないのである。こうして、カフカの文学は、一定の理念とか一定の問題とかを一定の現象のうちに形態化したり、表現したり、解決したりしたものではなく、表現形式そのものが意味を担うものとなっているのであり、表徴となっている。このことから、カフカの小説が無限につづき、完結も完成もほんとうの終末も知らないという事実も理解できるだろう。というのは、ここで問題となっているのは、個々の人間の一定の問題を一定のやりかたで形態化し、結論へもっていくことではなく、人間存在の模型をつくり出すということだからである。そうした人間存在の模型というものは、その本質からいって完結されえないものとならないわけにはいかない。カフカ文学のこうした断片的・非完結的な性格から、同時にまた、どんな形象もどんな筋の展開もどんな思想も、それ自体のために描かれるのではなく、ただ機能的な意味をもつものにすぎない、という結果が出てくる。それは、象徴として描くという理論に従った過去の文学の表現における場合よりももっと絶対的な意味でそうなのである。こうした絶対的な機能性というものをもつカフカの文学は、一定の歴史的、イデオロギー的、あるいは心理的な内容をもつものとして読むべきではなく、人間存在の模型として、形式そのものの面から理解されなければならない。以上がエメリヒの説くところである。こうした態度で実際に個々の作品に向かうときどういうことになるか、というのはむずかしい問題だが、カフカの諸作品をなんらかの意味づけによって理解しようとするときには、そうした試みは挫折しないではいない。エメリヒの見解は深い示唆(しさ)を含むものである。そして、さまざまな思想的、宗教的なカフカ解釈が一応出そろった今日、カフカ文学を文学の問題として考えようとするすこぶる適切な再反省として受け取ることができるように思われる。しばしばいわれるカフカのいわゆる「寓話的方法」ということは、むしろこのエメリヒの説のように解すべきものであろう。
 次にウィリー・ハースがその自伝的回想『文学的世界』において、かなり断定的なカフカ観を表明しているのも見逃がすことはできない。ハースは一八九一年にプラークに生まれ、年上の友人ブロートを通じてカフカを個人的に知っていた。本カフカ集の作家論の筆者であり、この短いカフカ論は彼の『時代のさまざまな形姿』(一九三〇)という評論集に収められたものであるが、今日でもカフカの作品の最良の解説の一つに数えられている。そして、カフカと恋愛関係があったミレナ・イェセンスカから彼女に宛てたカフカの手紙を譲られ、第二次大戦後にカフカ全集の一巻として収めるために編集したのは彼である。ハースはいう。カフカだけが、二、三の断片的ではあるが壮大不滅の画像のなかで、とくに『審判』と『城』とのなかで、自分たちの青春の世界を集約し、組み立てた。これらの作品を読んだときに、自分の青春のまったく慣れ親んでいたパノラマを読むような気持に襲われた。そのなかでは、どんな町の隠れた片隅、町角、どんな埃っぽい廊下、どんなみだらさ、どんな隠微な暗示でも、すぐ自分にはそれとわかるほどだ。だから自分には、カフカの作品について書かれた実存主義的なのやら非実存主義的なのやら無数のエッセイの一つとして理解できないほどである。カフカの世界的名声というものも、自分にとっては不本意ながら一種の滑稽感を呼びさまさないではいない。プラークに生まれなかったような、そして一八九〇年か一八八〇年ごろに生まれなかったような人が、カフカを理解できるとはとうてい思えない。カフカの奇妙に無口で寓意的=現実的な洞察力のうちには、ひどく暗示的な地方的前景の世界、つまり彼の二大長編『審判』と『城』との環境というものを現実に知らない人には、ただこの地方的な小さな世界のうちに、そしてそのような小さな世界によって存在しているまったく濃密な形而上的な類推というものもほんとうにはわからない、というところがある。そのためにきわめてばかばかしい誤解がこれまでに生まれたし、今でも生まれているのである。カフカは閉鎖的なオーストリア的=ユダヤ的なプラークの秘密であるように思われる。それを解く鍵(かぎ)はただ自分たちだけがもっているのだ。カフカの「世界的名声」というひねくれた誤解の累積がついに減っていって、自分たちが彼という友人を取りもどすことができたならば、それは自分にとって最大のよろこびである。カフカは、ほんとうをいうと、自分たちが一九一〇年ごろにすでに知っており、しばしばいく晩でも議論して考えていたような問題(神の近づきがたさとか原罪とかいう問題)だけを書いたのである。彼の偉大な業績は、それを天才的な象徴によって形象化することができたという点にある。だが、それ以上に、いかなる楽観的な幻影によっても眼をくらまされるということがなかった点にある。おそらくは、彼があんなにも早く死んでしまったことは、幸いであった。もし彼がもっと長く生きていたならば、ブロートが想像しているようにおそらくは実際に熱心なシオニズムの信奉者、いわゆる「みごとな新世界」の忠誠な国民となっただろう。つまり、実際にあったままの彼よりもずっと積極的な人間になったことだろう。もしそうなっていたら、どんな思想にも影響されることのなかった彼の特殊な天才は悲しいことに発揮されなかっただろう。しかし、カフカはあるがままのカフカで終った。だから自分たちは、彼の世界的名声はまもなく終わるものと予言する。原子力に脅やかされている今日の人類に対して彼がおそらく与えることができるかもしれないものといえば、ただ彼の晩年の短いいくつかの物語がもつすばらしい滑稽味をおびたユーモアだけだろう。しかし、彼のこのにがい笑いさえも人びとはまもなく信じなくなるだろう。
 以上のようなハースの所説および予言は、すこぶる独断的なものであり、またこうしたカフカ観をもつにいたったについては、親友であった作家フランツ・ウェルフェルに対するハースの傾倒が少なからぬ影を投じているように思われるのであるが、また一面に聞くべきものをもっている。カフカの文学は素材的に当時のプラークの空気を反映しているものであり、また個人的な体験をさまざまな形で取り入れている場合がすこぶる多い。そのために、カフカの諸作品に自伝的な要素をあとづけようとする強引な説さえもあるほどである。ところで、若い評論家・作家であるワルター・イェンスは、ある短い文章のなかでハースの右のような見解に賛成し、カフカの文学を、カミュアルジェリアの郷土文学であるような意味で郷土文学であるといっている。いずれにせよ、カフカの文学から壮大な思想体系を導き出そうとした従来のカフカ観から、もう一度彼の作品をこまかに味わおうとする一つの気運がかなり強く動き出していることの証左と考えられるのである。カフカプラークの出身であるが、多少の旅行を除いて、ついにプラークの世界から出ることはなかった。その点、同じプラークの出身であるリルケやウェルフェルとはまったくちがっている。われわれには理解できないと突き放されては身もふたもないが、カフカの文学を性急に解釈するより前に、われわれもまた彼の作品にまず虚心にふれていくことが大切であろう。
 むろん、現代小説の発展の上でカフカが果たした役割の意味は失われないだろう。第二次大戦後、ドイツ現代文学におけるもっとも重要な作家の一人として評価されるようになったヘルマン・ブロッホは、ジェームス・ジョイスの方法を生涯の理想として作品を書いたが、彼は次のようにいっている。ジョイスの『ユリシーズ』の仕事は、現代小説の特質である神話を形成しようとする意図の実現である。しかし、ジョイスの描いた人物たちは神話的人間像とはなることができなかった。なぜなら、神話というものは現代にはありえないからである。神話は、人間を脅やかし破滅させる根源力を描くものであり、そうした力を象徴するさまざまの形姿に対して、それに劣らぬ大きなプロメテウス的な英雄の象徴像を対置する。ところが、現代においてはそうした人間を脅やかす力はもはや根源的な自然ではなく、ただ文明によって飼いならされた自然があるだけである。そこで現代に可能なものは、「反神話」と呼ぶべきものであろう。現代のこうした極度の絶望状態を表現しえたのは、ジョイスではなくて、カフカである。彼こそは、そうした絶望状態そのものの象徴化を行うことのできる例外的な力をもつ作家であった。ゾラの「ルゴン=マッカール叢書」の仕事以来、現代小説は神話になろうと努めてきた。しかし、どんな芸術的な難解な方法も手法もそれには役立たなかった。むしろそのためにはある真率さというものが必要なのであろう。そうした真率さをつくり出すことができたのはただカフカだけである。人は自分がジョイスのあとを追っていると思っている。たしかに自分は理論的にはジョイスとつながりがあったからである。しかし、もし自分にカフカほど大きな詩的な力があったならば、自分はおそらくこのきわめて非ジョイス的なカフカの方向へ駆り立てられていったことだろう。だが、自分はそのような不遜(ふそん)なことはしない。ただ一つの世代には二人のカフカはいないのだ、といっている。そして、カフカの方法についてこう述べている。カフカは一つの新しい神話を実現した作家である。実存主義者の作品がじつは彼らの哲学的理論を例証し、具体化しようとする寓話や伝説のようなものであり、その意味では伝統的な文学の領域にとどまっているのに対して、カフカの目標はまったく反対の方向、すなわち抽象というものにあり、具体化というものにはない。カフカはこうした「非理論的抽象」というものに成功した稀有(けう)な作家である、というのである。カフカについていわれる「抽象小説」という言葉は、こうした意味のものとして理解すべきものである。
 しかし、カフカの抽象という作業は、けっして現実的なものを離れることはなかった。カフカは「ありふれたものそのものが、すでに一つの奇蹟なのだ! ぼくはそれをただ書きとめるだけだ。ただ、ぼくがちょうど薄暗がりの舞台の上の照明のように、事物を少しばかり照らし出しているということはありうることだ」といっている。その独自な照射力こそカフカの手法であった、といってよいだろう。ドストエフスキーは『作家の日記』のなかでいっている。「最大の奇蹟はしばしば、現実のうちで起こることである。われわれは現実をいつでもただ、われわれが見たいと思うようにだけ、われわれが自分で先入見をもって考えていたようにだけ見ようとする。ところが、次に突然、現実をもっと正確に調べ、眼に見えるもののなかに、われわれが見たいと思っているものではなく、ほんとうにあるがままのものを見出すとき、われわれはそれをすぐさま奇蹟だと考える……」といっている。こうした現実の透視力こそ偉大な作家たちの仕事にほかなるまい。カフカが書くことを「祈りの形式」と呼んでいたことは、有名である。彼はこうして謙虚な仕事をつづけ、わずかな作品だけを残し、巨大なトルゾーを葬ろうという決意で死んでいったのである。彼の仕事が人間の絶望を歌ったのであれ、その救済を求めたのであれ、われわれは彼によって現実の見かたを、現代の人間的状況に対応するような現実の見かたを教えられるであろう。多くのカフカ解釈者たちが好んで引くカフカの言葉がある。「何びとも、いちばん深い地獄のなかにある人びとほどに純粋に歌う者はいない。われわれが天使たちの歌と考えているものは、そうした人びとの歌なのだ」
 個々の作品については、ハースの作家論が短いながら洞察に富む解釈を下しているのを参考としていただきたい。いずれも三十年も前に書かれたものとは考えられないような一つの適切な解説となっているように思われる。本集はいわばハースの意図そのままで編集されたようなものである。ハースの作家論でふれられている作品はすべてここに収められている。筆者としては『支那の長城が築かれたとき』のような断片を収められなかったのがやや残念であるが、この「短編集」はいずれもカフカが生前に発表したものだけに限られており、その意味ではカフカ自身の遺志の範囲に含まれる作品である。カフカの短編は凝集力をもち、たしかに完結性をもつものと考えてよいであろう。この分野における彼の仕事は、人間の生の断面をとらえ、人間存在の個々の問題を扱っていると見ることもできる。長編小説はいうまでもなく生の全体をとらえようとするものである。その長編が非完結的な性格に終ったことについては、最近ある評者(シュトレルカ)が、注目すべき見解を述べている。カフカの小説の非完結性は、エメリヒのいうような意味によってばかりでなく、一つの現象を反対のものによっても述べるということを極限まで実行している彼の方法からきている。どんな叙述の可能性についても、無数のちがった、しばしば矛盾するような可能性を対置させるのが彼の方法である。真実の全体をとらえるためにこうした方法を取っていくわけであるが、全体的な人間存在の現象はあまりにも多様な姿をおび、錯雑しているので、さまざまに受け取れるような比喩的な形象を極度に抽象化していってさえも、あらゆる可能性を包括するような完全な全体像を、カフカが脳裡に思い浮かべているとおりに表現するまでには到達することができなかったのだ、というのである。なお、これと関連して、カフカが長編のなかで長々と書いている議論の奇妙な展開というものも理解すべきであろう。それらはいかに退屈に見えようとも、カフカ弁証法ともいうべき重要な特質を示す部分と見なければならない。『審判』のなかの弁護士や画家の叙述、『城』のなかのバルナバスの家でのオルガの叙述あるいは秘書ビュルゲルの叙述といった個所は、そのもっともいちじるしい例と考えられる。
『城』は、一九二一年、ことに二二年に書かれた。つまりミレナという女性との危機的な関係のうちに書かれた作品で、ミレナは作中のフリーダ、クラムはその夫に反映しているといわれている。ハースがいっているように舞台はツューラウという村を素材としたらしいが、そこでカフカは一九一八年の滞在中にキエルケゴール研究を始めた。作中のアマーリアとソルティーニとの関係にキエルケゴールの影響を見ようとする説もある。『日記』の一九一四年六月十一日の項に「村での誘惑」という断片が書かれているが、これは『城』とある類似をもっている。『審判』にしろ『城』にしろ、カフカは突発的な創作を行なったのではなく、テーマを長くあたためていたのだ、という想像も成り立ちうるように思われる。
 『火夫』は一三年に単独で出版され、一五年にフォンターネ賞というかなり権威ある文学賞を受けた。一四年に、今日では現代ドイツ文学の大作家といわれているローベルト・ムージルが短い書評でこの作品を取り上げて、その意図された素朴さというものを論じ、少年の根源的な善意への衝動というものを描きえている、といっている。そして、このなかの女中の誘惑という短いエピソードに注目して「きわめて意識的な芸術家」を感じ取っている。