実用言語と詩的言語

詩的言語は自らのうちに存在理由をもっている。詩的言語は、それ自体が目的であって手段ではない。詩人は、言葉を記号として利用することはしない。というよりは利用することができない。詩人はつねに名づけようのないものに向かって、それを名づけようとする。ものは名づけられた時に、初めて対象性を獲得するが、詩人は、つねに名づけようのないものに立ち向かう。抒情詩は名づけようのないものの表出をめざしているがゆえに、おそらくこの世でもっとも孤独な存在である。合理的な理由づけ、説得性、明証性といったものはすべて抒情詩から遠ざかっていく。
(『物語のナラトロジー 言語と文体の分析』より)