月の沙漠

   

  千葉県に40年近くも住みながら、御宿にある「月の沙漠記念像」の存在は知りつつも、訪ねたことはなかった。一昨日友人にドライブに誘われ、房総半島南端の白浜や野島岬まで行き、新鮮な魚料理を満喫して、海を見ながらの会話に時の経つのも忘れるほどだったが、帰途は予定通り外房を回り、かねてから訪れたいと思っていた御宿の「月の沙漠記念館」を訪れた。5時近い時刻で、空は茜色に染まり、地上は夕暮れの気配が漂っていた。 
 作詞者の加藤まさをは、静岡県藤枝の出身で病気療養のためによく当地を訪れ、本人の語るところによれば、「御宿の砂丘で得た幻想」から生まれた詩であるとのことである。詞の解釈には様々な意味が読み取れるが、受け取る人の自由な想像にまかされるべきであろう。
彫刻家竹田京一氏の美しい像が今砂浜に建っている。記念像を建てるにあたり 御宿と再び縁が結ばれた作者は、1976年にこの地に移り住み翌年1977年に亡くなったという。
 よく知られた話であると思うが、朝日新聞社本多勝一氏によると、アラビアの砂漠では、「月が朧にけぶる夜は」すさまじい砂嵐の時しかなく、「金や銀の甕など」はとんでもない話で、中の水は煮立ってしまい使い物にならず、皮袋に入れるそうだ。王子とお姫様は、当然金や銀の鞍などに乗っていることはできないだろう。
 王子様とお姫様のふたりがおそろいの白い上着を着ていたのは、まさに死装束(しにしょうぞく)での旅立ちであり、お供も荷物を運ぶラクダも同行せず、とぼとぼとだまって砂丘を越えてゆくふたりの姿は、死の旅路であることを意味している。
 歌詞にある「ひろい沙漠を ひとすじに ふたりはどこへ ゆくのでしょう」という作者の問いかけが、そのことを強く意識させる。
 童謡の域を越えているともいえる詩の意味内容、歌全体に流れる物悲しい曲想、そのいずれもが日本人の心の底に潜む深い情感を呼び覚ます。この感情は、とても大正ロマンというような安直な言葉では言い表わせない。(この文章を書くにあたっては、ブログ『デミアンの随想日記』を参照させていただきました。お礼申し上げます。)