≪ZürichーStuttgartーBietigheim/Bissingen≫

 1984年9月2日(日)晴
 Luzern発10時07分、Zürich(Hbf)着10時56分。

 列車の待ち時間を利用してZürichの町を見物する。Limmat川沿いに散歩。今日は日曜日のため商店はすべて閉まっている。
 Großmünsterの内部をのぞく。
 Kunsthaus(市立美術館)に入り、Holder, Böcklinなどの絵画作品を見る。HolderやBöcklinの一室が設けられ、多数の作品が展示されている。
 またムンクの作品もいくつかあり、これほどまとまってムンクの作品を見るのは初めてで、いずれもすばらしい表現力に満ちた作品できわめて印象的であった。もう一度ゆっくり時間をかけて観たい美術館である。                

   



















 Zürich(Hbf)発14時10分。
 Stuttgart着17時47分。
 (Schaffhauseb, Singen経由)
 Stuttgart発18時07分。
 Bietigheim着18時27分。
 
 BirgitがGünterと車で駅まで迎えに来てくれる。
 Bietigheimは今ちょうどPferdemarktの期間中で、9月2日(日)と3日(月)がもっとも盛大な催しの行なわれる祭りの日である。
 9月の最初の月曜日がHaupttagになるように毎年日程が組まれるのである。夕刻トムシ夫妻と町に出、ずらりと並んだ屋台の店をのぞいたり、柵の中につながれた馬を見たり、華やかなネオンに彩られたKarussell(メリーゴーラウンド)などを見物する。


 大天幕の張られた大きなビアホールに入り、bayrische Musikを聞きながらジョッキでビールを飲み、gebratenes Hähnchenを食べる。ロースト・チキンは程よい味つけで、肉もやわらかく美味であった。ビールを2杯飲み、酔いがまわる。トムシ夫妻は酒はあまり強くないらしく、二人でジョッキ1杯を飲んだだけであった。
 Bayernから来たというKapelleはなかなか陽気で愉快だった。
 21時からGroßfeuerwerkが始まる。


 9月3日(月)晴
 午前中はFrau Tomschiと取引されるさまざまな馬を眺めたり、屋台店をのぞいたりAltstadtで買物をしたりして時間をつぶした。
 Frau Tomschiが一足先に帰宅した後、日本庭園をぶらつき、川のほとりを散歩してAltstadtの美しい家並を眺めたりして時を過ごした。(日本庭園については、後ほど詳述する。)
 5月にドイツに来た頃はまだKastanienの花が美しく咲いている時期であったが、今はKastanienの実がすっかり大きくなり、葉も少し黄ばみ始めている。白樺の木はすでに黄葉しているものもある。
                       

少し感慨にふけりながら帰宅し、Tomschi夫妻と共に昼食。
 昼食のスープに出たMaultascheはSchwabenのSpezialitätとのことであるが、日本の餃子に似たそれはすこぶる美味で思わずMaultascheのスープのおかわりをしてしまった。Frau Tomschiの味つけは日本人の口によく合うようである。
 午後2時より、いよいよ呼び物の、しかもPferdemarktのメイン・イヴェントでもあるFestzugが始まった。
 Festzugの脇の階段にFrau Tomschiと陣どってFestzugの到着を待つ。2時半を過ぎた頃、最初の山車が到着し、以後次々とさまざまな民族衣装に身をつつんだ人々やとりどりの花々で飾り立てた山車(Festwagen)、城、橋、塔などのミニアチュアの飾り物を載せた車が馬に引かれてやってくる。
 一時間ほどの間、沿道を埋めつくした人々や広場の柵のまわりに陣どった見物客は、これらの行列にさかんな拍手を送っていた。

50.Bietigheimer Pferdemarkt  Freitag, den 31. August bis Dienstag, den 4. September 1984


Montag, den 3. September
8.00 Uhr Marktbeginn und Prämiierung der Zuchtpferde, Fohlen-,
Gebrauchs- und Händlerpferde.

14.00 Jubiläums-Festzug mit preisgekrönten Pferden und
historischen Gruppen und Festwagen.

[注記: Bietigheim(ビーティッヒハイム)は,エルヴィン・ベルツ(Erwin von Bälz)博士の出身地である。明治時代に日本へ招聘され、日本の医学の発展に多大なる貢献をした医師である。ビーティッヒハイムには日本庭園があるが、べルツ博士を通じた日本とドイツとの友好のしるしとして造園されたものである。彼の日本滞在は29年にも及び、滞在中に記された「ベルツ日記」は明治時代の日本の克明な記録として史料的価値が高いものである。また博士は、日本の温泉に医療的効果を見出し、草津温泉を世界に紹介した縁で、草津町とビーティッヒハイム・ビッシンゲン市は昭和37年から姉妹都市となっている。日本庭園にはベルツ博士の顕彰碑が立てられている。そこには、歌人で医学博士でもある水原秋桜子の句、「君によりて日本医学の花ひらく」が刻まれている。]

ニュルンベルク滞在日誌(1984年5月〜9月)をテーマとした本ブログは、一応これをもって完結し、2013年1月16日記述のブログを合わせ読むことによって、テーマ的には円環を閉じることになる。ブログの中でも書いている通り、とりわけFam. Tomschiには筆舌に尽くしがたいほどお世話になった。滞在を終えて無事帰国できたのも、すべてFam.Tomschiのお陰といっても過言ではない。2007年7月7日のご夫妻の金婚式に出席できたのは、せめてもの恩返しだと思っている。≫