黒田夏子著『abさんご』を読む----イメージの修辞学

 久しぶりのブログ執筆である。どのようなことを書くのか、自分でも分からないままに筆をとった。書きながら考えるといえば、恰好はいいが、無論そんな準備はない。しかし書きたい気持ちが、抑えようもなく心に湧き起こってくる。
 史上最高齢の75歳の芥川賞、横書き、ひらがなの多用等で話題になった作品ではあるが、本質的な議論や批評をしようと思えば、難解な作品である。
 まず表題の「abさんご」の意味であるが、この作品を終わりまで読めば分かるように、abは、分かれ目、あるいは少し大げさに言えば「人生の岐路」といったものを示すようだ。さんごは、海底に育つ珊瑚が無数に枝分かれしている形状から、複雑に入り組んだ分かれ目、岐路を連想させる。
 言語の機能をごく大雑把に分類すれば、情報伝達機能(informative function)と人間の感情に訴える作用をもつ感化的機能(affective function)であろう。この作品では、ひらがなの多用、横書き、固有名詞の排除、主語の省略またはその独特な提示の仕方(「子」とか「じぶん」とか「…者」など)、あるいは蚊帳を「へやの中のへやのようなやわらかい檻」、傘を「天からふるものをしのぐどうぐ」などと表記する特徴から考えて、言葉は複雑な機能を背負わされている。
 蚊帳や傘の表記の仕方を、事物の概念を今までそれが置かれていた意味論的系列の外に出し、別の新しい意味論的系列の中に位置づける手法、すなわちロシア・フォルマリズムの異化(非日常化)の方法に似ていると説明したところで、それは場違いな説明でしかない。
 <受像者>と題された作品の冒頭部分を引用してみよう。

 aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと、会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが、きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから、aにもbにもついにむえんだった。その、まよわれることのなかった道の枝を、半せいきしてゆめの中で示されなおした者は、見あげたことのなかったてんじょう、ふんだことのなかったゆか、出あわなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして、すこしあせり、それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりなおせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ、どちらでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日月のはてにたゆたい目ざめた者に、みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある.

 人はいくつかに枝分かれした選択肢から一つを選びとって生きていくわけだが、生きられなかった生、つまり可能性としての生が受像者に夢として立ち現われる様子が、この序章では不思議な現実感をもって描きだされている。
 詩は、一般的に合理的な意味とともに非合理的な意味をもつ語から成り立っている。詩はある意味で、われわれが日常とは違う視点で生きていることをふり返るところから生まれる。したがって詩の言葉は、日常の世界で使われる言葉とは異なっている。詩の言葉がもつ意味を考えれば、『abさんご』を一種の散文詩として読む読者がいてもおかしくないと思う。

 ≪もし現実感覚があるとすれば、可能性感覚もあるにちがいない。……したがって可能性感覚とは、現実にありうるかもしれない一切のことを考える能力、現実に存在するものを現実に存在しないものよりも重視しない能力と定義できるだろう。(ローベルト・ムージル『特性のない男』より)≫
 上に引用したムージルの言葉は、われわれが現実を別様にも解釈できること、われわれが考えているのとはまるで違ったふうにも受け取ることができることを教えてくれる。黒田作品の主要なアクション(出来事、人物の行動)を抽出して「あらすじ」を書くことはできるが、この作品では通常の時間軸に沿ったストーリー展開は放棄されている。したがって通常の時間系列の順序に沿った「あらすじ」は後述することにして、ここでは物語論的な事柄、すなわち語り手とか視点の問題を少し掘りさげてみたい。
 度々のムージル引用で恐縮であるが、『特性のない男』の中で主人公のウルリヒは、時間軸に沿った≪物語の糸≫というものに関して次のように考察している。
 「生の重荷にあえぎ、生を単純に割り切りたいと願う人々が憧れる生の法則とは、物語の秩序の法則にほかならない。この物語の秩序は≪あれが起こったとき、これが起こった≫という風に単純に言い換えることもできる。この単純な順序、数学者の言葉を使えば、生の圧倒的な多様性を一次元的な秩序に写し取ること、これがわれわれに安らぎを与えるのだ。これが名高い≪物語の糸≫であり、≪生の糸≫もまたそれから成り立っている。……(たいていの人間は)事実のきちんとした前後関係を愛する。というのは、それが必然性に似ているからであり、おのれの生がひとつの≪筋道≫をもっているという印象を受けることによって、混沌の中でなんとなく庇護されているような気がするからである。」
 以下において、選者のひとりが提起している問題「語っているのは誰なのか」にも関わるが、「語り手」あるいはもっと正確には「視点」の問題について検討しようと思う。
 
  次に引用する二つの文は、いずれも第二章<しるべ>からのものである。
 「死者があってから十ばかりの夏がめぐったころ、物も疲れ人も疲れた。死者の配偶者と死者の子とは、成熟の出ぐちと入りぐちとへそれぞれにいっそう近づきいっそう押しつめられてあわただしいあけくれになっていた.」ここでは母親の死後十年ほどたった頃のことが想起されている。「しるべの過剰な夏がしるべのかき消えた夏に移行して、死からまもなかったころよりももっとしたたかな死のけはいを、無いことのうちに顕たせたはずの夏は、そのことじたいをさえ見さだめきれなさのおぼろの中へ翳りかすませる.」この一読しただけでは分かりにくい文章は、何を語っているのだろうか。死んだ母親をめぐる追憶が、成人した子の回顧のまなざしで捉えられているのだろうか。
 引っ越す前の最初の(ふりだしの)家は三そうから成り、二そう目は父親の蔵書で全部占められており、三そう目から下りて行く幼児は、開いた片扉から机に向かっている父親の後ろ姿と、その頭越しに緑の葉が光りさざめく窓とを見る。五歳になった幼児は、ある日の朝食の卓で、光りさざめく樹木の名を覚える。一そう目には、料理屋の使用人が三、四人いりまじって暮らしており、彼らが立ち働く姿が、幼児の眼に影絵のように遥か遠くに見える。ここでは三そうから成る家が幼時の眼で、広い空間として捉えられている。
 親子は、蔵書を戦火から守るために「三そうの家」から海辺の「小いえ」に引っ越すことになるが、二つの書庫と改築された書斎をもつその「小いえ」は、「巻き貝のしんからにじりでるようにして書庫へのひき戸までをこすりぬける」ような芸当が必要なほど狭い家だった。「小いえ」に引っ越してからは、幼児は小児と呼ばれるようになる。親子にとって新しい家での生活はどうであったか。「なにもかも仮であるままに、いずれはまたましにできるだろうと信じられたはずみもふくめて、その日日はその日日でひとつのやすらぎの完結形だった. それぞれにそれぞれのことに熱中し、それぞれのもんだいをしのいでいて、だからじゃまでもきゅうくつでもなかった.」 これは小児が大人になってからの回想と捉えるのが自然であろう。小児が小児の眼や感覚で捉えた印象の再現というよりは、父親の内面をも推し量りながら、回顧という視点で捉えられた現実である。
 第三章<窓の木>に漂う親子二人の生活がもたらす幸福感は、章の末尾の一節に屈折した形で表現されている。「ひかりさざめく窓に向いていた日日がおりふしの想起の中になかったはずもないが、幼児だった者の想起にはそれがないと、たしかめることもなく老年はうたがわなかったのだろうか. 子のちからでもういちどしつらえて親を迎えとれたらという、はたされるはずも語られるはずもない夢想の書斎の窓のまえに、またあの木を植えようと言いたかったねがいだけが、らちもないゆうれいのようにさまよいのこる.」
 小児が十五歳、父親が五十三歳になったとき、新しい「家事がかり」がやってくる。この外来者は家族の一員のように家に住みついて、一緒に食事をするようになり、それまでの十年間にわたる親子ふたりだけで向かい合う食卓での「愛戯」のような食事の雰囲気や、その「濃密な共生感」が闖入者によってしだいに崩されていく。この最後の晩餐ならぬ<最初の晩餐>以後、どうせ半年か一年ずつ四人か五人の家政婦が交替して十五歳が大人になって問題は解消するだろうと高を括っていたものの、十五歳が忌避感をいだくその「家事がかり」はいつまでも同居を続けることになる。
 十五歳が十七歳になり成長するにつれ、「家事がかり」は家全体の家事ばかりでなく、「かせぎ手」の世話もする方向へと転換し、父と子と家政婦という三人の同居人の人間関係も微妙に変質していく。家事がかりの家全体を取り仕切り、所有したいたいという意欲は強まるばかりである。家事がかりは、家を思う通りに改変し、門扉や裏木戸がとりつけられ、洗面台や物干しが新しくされ風呂釜が改良される。<解釈>の章の末尾は、次のようになっている。「小いえはたちまち仮寓のすがすがしさをうしない、こうでしかないという卑しさがひしひしと固定していった。住みうつって十ねんの者たちにはのがれようのないほんとうの転落がはじまり、改変者にはひたすら功績感と所有感がつのっていった.」 
 第五章<解釈>に出てくる場面、すなわち外出着すがたの家事がかりが、出かけたはずの雇い主が突然早く帰ってきたのに驚いてやりとりする場面、これを見ている者は誰だろうか。この物語の姿を現わさない語り手であろうか。五年あまり後に「小いえ」のひとり子が家を出て行き、その二十年のちに雇い主が死んで、その後もずっと住み続けることになることまでは思い至らなかったにしても、家事がかりがその場での雇い主とのやりとりの際、その家に居続けようと「意志」したこと、そのためにあり得た別の一生が何人分かかき消えたことが語られている。ここで家事がかりの内面を見通している者は、一体誰であろうか。物語の時系列は直線的には進まず、現在と過去を行きつ戻りつしているが、主人公と思われる人物の呼称は、幼児から小児、十五歳から十七歳へと変化していく。
 戦争が終わって父親は仕事で渡航する機会も増え、十七歳になった子は留守の間家事がかりと一緒に暮さなければならない。十七歳の子は二十九歳の家事がかりの目下として振る舞い、地位と収入のある五十四歳は家事がかりよりも目上の存在として、三人の同居人は、家の中の秩序を一応保ちながら暮らしていくが、これはもちろん親子の共謀による演技という性格のものであったが、しかし演じはじめると子にとって共演者のどこまでが本心かは見分けにくくなっていく。
 そんな状況で、父親がしばしば短期間外国にでかけて不在の間、試験準備中の十七歳は自分が唯一の身内を失って孤児となる境涯を想像裡に<予習>せざるをえない。
家事がかりが住みこんで間もなく、雇い主を好きになってしまった、今日は手を握ってしまったなどと雇い主の子に告げるが、それはもちろん他愛のない空語として聞かれていたが、家事がかりにあからさまになつかれた初老の者がそれを楽しんでいる雰囲気は演技というものではなく、むしろ途方もないことを意味するようになってしまったのは、親にとっても子にとっても重大なぬかりであった。
 家事がかりが住みこんで六年半たってから、つまり子が二十歳をすぎてから、子は<旅じたく>(「ずっと使われてきた小さなうるしぬりの文机と本箱」を持って家を出る決意)をすることになる。子が五歳児だった時、父親が街の飾り窓で見つけた三階建ての大きな人形の家のことが回想される。人形の家の豪華で精巧な細部について、四十三歳の父親は熱心に子に話して聞かせる。それは手放したくない暮らしを手放すことにこだわりを感じながら、ひたすらひとり子を喜ばすための会話であった。さらに六歳児の頃、貼り絵をするために色がみを用意して机の上に置いた途端、集まった子供たちの群に襲われて色がみは散乱し、白と灰色の二枚だけが残る。六歳児はくばられた台紙に灰色の紙を貼りつけ、丸く切りぬいた白い紙を六枚その上に満月のように貼る。十年たってから六つの満月を思いだした十六歳児は、もっといろいろな工夫ができたのにと思う。さらに四十年が過ぎて再び想起された満月たちには、花吹雪が舞いしきっていた。
これらの追想の再現は、一体何を意味するのであろうか。<満月たち>の末尾を読めば了解されるであろう。「……うかつな無防備と反射的なおもいきり、なりゆきのひきうけ、あるものでしのごうとするいさぎよさあるいはおろかさを、おろかさとわかりながらいつまでもきらいにはなれない者が、おなじおろかさをくりかえしつづけたまま死んだ一代まえの者にたむける、共感と苦笑の供花のようであった.」
 この作品では引用符による会話の再現はなく、したがって親子の関係性を具体的に示唆するような会話も存在しない。親が子をどう思っているのかも、遠い靄を通して見るように曖昧でぼんやりしたままである。<暗い買いもの>や<秋の靴>を通して描かれる数々の思い出は、可能性としてもしかしたら違う形で生きられたかもしれない世界を立ち現わさせるものとして描かれている。
 いずれにしても親子のうかつな無防備に起因する乱脈が、家事がかりをして金銭管理の意欲をそそり、親子は金銭配分人の地位におさまった者から金を配分されることになる。

家出人が家を出てからの二十年間の生活は窮乏ではあったが、その前の六年半に比べればずっとさわやかな窮乏であった。衰弱した死病者が死んだときの喪の装いも、死者が残すいくばくかの遺産をあてにしてようやく取り繕えるものであった。親が死ななければ親の死の儀礼につらなる身だしなみも整わない窮乏に追いこんだのは、選ばれた生き方そのものにほかならなかった。
 <虹のゆくえ>も<ねむらせうた>も、親の死をめぐっての追想である。一つ目の死(母親の死)については、四歳児にとってはほとんど記憶がない。通夜のざわめきとか、焼き場の場面が断片的に想起される。特別話題にされることもなく三十八年がたち、二つ目の死(父親の死)があった。七週間にわたる死病者の入院の後、死ぬことを贈り物として死病者は亡くなった。
 二十年の子の暮らしの実態を親は知らない。住み変わった八か所の住居も、食べていくために八種類も仕事を変えたこと、いくつかの恋も、知ったからといってどうにもなることではないので、全く知らずにいることが選ばれる。
 早逝した母親のねむらせうたの記憶は幼児にはない。残った父親のねむらせうたは、ひそやかな甘い歌として小児の記憶に残っている。
 子が家を出てから暮らした二十年間のちょうど中ごろに、家事がかりから配偶者としての法的資格取得のために口添えしてほしい旨の手紙を受けとり、子は七十歳の父親に手紙を出す。家事がかりの身内や周辺の者たちの応援もあって、結局合意される。
 子は貧しい生活を続けていたが、他人にそれを見せまいと秘術をつくしていたから、親と外で食事を共にするような機会ももたず、二十年は淡々と過ぎていった。
 家事がかりが親子ふたりだけの生活へ闖入して同居人となり、父親の内縁の妻となり、金銭配当人として家計の実権を握り、最終的には配偶者としての法的資格を獲得するというのが、この物語の表立った顕著な筋立てであるが、あえて言えば父親と家事がかりの内面的な関係性が曖昧なままで、よく見えてこない点が気にかかる。単に親子の無防備、手抜かりといった説明で済むことではないようにも思える。
 親子の密着した人間関係が作品の核心をなすものであろうが、その親密で安らぎに満ちた関係性が崩れていく過程を描きながら、語り手は長じて大人になってからも、幾度となく成熟した目と心で昔の記憶を辿り、それを反復しつつも別様な意味づけを与えている。
読む速度を遅滞させるひらがなの多用、すぐには意味を読み取れない迂回的な表現、直截な表現を避けた二重否定的語法、時系列(年代記的時間経過)を無視した叙述法……これらはいずれもストレートな印象を拒否しつつ、読者にこの物語の読み方そのものの反省を強いる。
最後に残った疑問。それは、この物語の「語り手」をどのように考えればよいのか、ということであった。主人公に寄り添った語り手の存在を偽装するような、他者的な視点で物語を紡いでゆく無人称的な語り、あるいは「語り手」のいない語りといったらよいであろうか。いずれにしても、変幻自在の日本語を駆使しながら、誰も考えつかなかったような実験的手法を敢行した著者に敬意を表したい。作品の結びの部分、小児がaとbに分かれた岐路で向かうべき方向を占なうために目をつぶりこまのようにくるくる回る場面は、この作品の幕切れを飾るにふさわしい不思議な魅力をもっている。