H.v.ホーフマンスタールとR.M.リルケのエクリチュールをめぐって

1.エクリチュールとはなにか。

 エクリチュールとは、言語芸術を成立させる核としての文章の「書き方」を意味する。歴史が順次変化するにともなって、エクリチュールも変遷してゆく。とりわけフローベールとともに、言葉は作家の歴史的・社会的地平の上に現われ、ある文章体(エクリチュール)を選びとることが作家の責任となる時代が始まる。ゾラ、モーパッサンマラルメランボーなどとともに、エクリチュールは古典主義の解体を跡づける歴史を歩み、ついには言語の自律性と社会的道具性の中点(零点)に立つ乾いた(中性の)エクリチュールカミュとともに生まれる1)。エクリチュールは、英語で言えばwriting、mode of writingに相当する。エクリチュール話し言葉に対して、書き言葉の特質に注目した際に用いられるタームなのである。ロラン・バルトは、エクリチュールを人間の創造行為と社会との間の関係として捉え、その歴史的な機能に注目した。分かり易く言えば、エクリチュールは作家と作家が生きる社会との対決から生まれる。バルトは、作家のエクリチュールは文学を考える考え方であって、文学を広める広め方ではないと言う。また彼は、作家があるエクリチュールを選択し、その責任を引き受けることは、ひとつの自由を意味するが、この自由は歴史のさまざまの時期に応じて異なった限界をもっており、作家は歴史と伝統の圧力を受けながら、一定の可能なエクリチュールを打ち立てるのだとも言っている。エクリチュールは、文学の他のどんな断面よりもはるかに敏感に歴史に触れ、歴史の作用を受けるのである2)。
たとえばバルザックの三人称とフローベールの三人称との間には、1848年の2月革命という歴史的事件を挟んで完全な断絶がある。つまり、バルザックフローベールエクリチュールを対立させているものは、両者が置かれている社会・経済構造の違いと、それに基づくメンタリティや意識の決定的な変化である3)。
古典主義的エクリチュールは数世紀もの間、同質な単一性をもっていたが、1850年前後から歴史的状況が大きく変わるとともに、その後、近・現代のエクリチュールは多様化してゆく。バルザックの自足的な宇宙の構築にかわって、リアリズムのエクリチュールシュールレアリストたちのエクリチュールなどが登場し、エクリチュールの多様化が始まるのである。現代のエクリチュールの複数性・多様性において読み取れるものは、文学の実存そのものが疑問に付されているということである。
20世紀以降の現代という時代が、まさしく旧来の文学と、そのエクリチュールが解体し、新しく零度の地点からの再出発が否応なくうながされている時代だと指摘するバルトの考察は、現代における文学とエクリチュールの困難さ、あるいは不可能性を先取りしたものであるといえよう。古典主義の終焉とともにエクリチュールは単一で普遍的であることをやめ、ある文章体を選択することが作家の責任となる時代が始まったのである。
繰り返しになるが、バルトは自著『零度のエクリチュール』の中で、文学あるいは言語芸術をそれとして成り立たせている根本的なモチーフ、その創造力の核をたずね、それをエクリチュールに見出し、そこから構造的に古典主義以来今日に至るまでのフランス文学の歩みを素描したのであるが、バルトの分析によれば、上述の過程はフローベールとともに始まり、ゾラ、モーパッサンマラルメランボーを経て、ついに言語の自律性と社会的道具性の中間点(零点)に立つ乾いた中性的なエクリチュールカミュとともに生まれたのである。
注1)ロラン・バルト『零度のエクリチュール』(渡辺淳・沢村昂一訳)、みすず書房、1971年、第一部Ⅰ「エクリチュールとは何か」参照。 2) 同書、16―19頁参照。3) 同書、38頁参照。


2.ホーフマンスタールの散文作品

 „Ad me ipsum“「私自身について」と題する一種の自己解釈の形式をとった手記の中に、ホーフマンスタールの有名な言葉、すなわち„Präexistenz“(前存在)と „Existenz“「存在」という言葉が出てくる。「前存在」については、「栄光に満ちた、だが危険な状態」と書かれている。つまり「前存在」とは、早熟な知恵と先取りされた世界解釈の輝かしさを誇る青春の段階を指すが、しかし人間はこのような前段階から歩み出て、成人として、大人として実人生にしっかりと根を下ろした行為と責任の領域、つまり「存在」の領域へと入っていかなければならない。人間としての成長という一般的過程から見れば、まさにその通りかもしれない。だがホーフマンスタールを詩人として、つまり実人生とはひとまず関わりのない芸術的創造に携わる人間として見る場合、彼の初期作品のすべては、「前存在」という人生の一段階において、「神童」ともいうべき早熟な才能を天から与えられた者のみがなし得る偉業を達成しているといわなければならない。ホーフマンスタールは、16、17歳のギムナジウム時代から詩や韻文劇をロリスという筆名で雑誌に発表していたが、作品に見られる繊細な感受性と早熟な知恵と高雅な教養によって、人々を驚嘆させた。
 たとえば、ホーフマンスタールが18歳の時に書いた「早春」という抒情詩の数節を読んでみよう。

   葉のない並木道を           
   走りすぎる春の風            
   そのそよぎにひそむ           
   不思議なもの。             
                       
   すすり泣く者のところで         
   風は身をふるわせ、           
   ほつれた髪に              
   そっと寄り添う。            
                       
   アカシアの花を
   はらはら散らし、
   息づき燃える    
   四肢を冷やす。    
                       
   笑いころげる
   唇に触れ                               
   柔らかく目覚めた、           
   野面を吹きすぎる。           
                       
   ……………………            

 春風の吹きすぎる道筋に沿いながら、人生のあらゆるもの──悲しみ、快楽、喜びなどの種々相が、一つに溶け合い、交響・交感を奏でている。簡潔な言葉でありながら、一つ一つの語は、感覚的に明瞭な形象を提示している。„zerrüttetes Haar“, „die Glieder, die atmend glüten“, „Lippen im Lachen“, „flüsternde Zimmer“などの語は、感覚的に明瞭な形象を提示しているがゆえに、エロティックな連想を誘う。一方で、言葉の提示するイメージは、輪郭が明瞭でありながら、その簡潔さゆえに豊かな謎を内包し、暗示力に富む。
 この詩の中には、すみずみまで霊感と予感がひらめき漂い、すみずみまで夢と陶酔の感情が溢れている。ホーフマンスタールは1895年と1896年にモラヴィアの小都市ゲーディングとガリシアのトルマッツで兵役義務を果たしている。それらの地で彼はかつて経験したことがないような、荒涼として醜悪な、汚辱に満ちた生活を送った。兵役義務の経験は、ホーフマンスタールに人生は観照ではないこと、強固な意志のない者の上には詩人の世界は築かれ得ないことを教えてくれる。1895年に書かれた短編『第672夜の物語』は、四人の召使いに囲まれて何不自由なく暮らす商人の「美的生活」が、断罪される物語である。ゲーディングでの軍隊での生活体験が、物語の背景をなしていることは明らかである。
 早熟な天才詩人ロリス少年は、文壇デビュー以来10年ほどで抒情詩の世界に訣別し、ドラマと散文作品に専心するようになる。とりわけドラマのジャンルは、変化に富む多彩な形式を開花させながら、1929年の詩人の死まで続く。詩人の変容あるいは転身を際立たせる作品としてしばしば取り上げられるのは、1902年に書かれた『チャンドス卿の手紙』である。
 この作品は、これまで一般には言語そのものへの懐疑を表明したもの、あるいは20世紀における言語革命を予見したマニフェスト的作品として捉えられてきた。少し長くなるが、作品の中の最も頻繁に引用される個所を引用してみよう。
 「それ以来、小生がいとなんでいる生活はほとんどこれを理解していただくことができないのではないかと危ぶまれます。それくらい精神の抜けた、無思想な日々が流れ去ってゆくのであります。もちろんそれは隣人や、親戚の者や、またはこの王国の地主であるたいていの貴族たちの生活とほとんど違わない生活であり、それには喜ばしい、活気をもたらす瞬間が全くないというわけではありません。しかし、このよい瞬間がどんなものであるか、そのだいたいをお話しすることさえ容易ではありません。ここでもまた小生は言葉に見放されているのであります。なぜなら、そのような瞬間に、日常の身辺の何かある現象をより高い生命の昂まるあふれを以て、まるで一つの容器のようにみたしながら、小生のまえにその姿をあらわすものは、まったく名のなきものであり、さらにまた、ほとんど名をつけることもできないものなのですから、実例をあげないでこのことを理解していただくわけにはいきますまい。そして次にあげる例の荒唐無稽なことはお許し願わなければなりませんが、例えば一個の如露、畑にうちすてられた馬鍬、日向の犬、みすぼらしい墓地、ひとりの不具者、一軒の小さな農家、すべてこうしたものが小生の霊感をもる器となることができるのであります。すべてのこれらのものや、何千という他の同じような、いつもはわれわれの眼が自明の無関心さを以てそのうえを掠めてゆくものが、小生にとって突然或る瞬間に、──この瞬間を呼びよせることは小生にはどんなにしてもできませんが──或る崇高な、魅惑的な相貌を帯びてくるのであり、しかもその相貌を表現すべく、小生にはいっさいの言葉があまりにも貧しく思われるのであります。……(中略)……この間も小生は或る酪乳場の牛乳室に巣くっている鼠たちに、毒薬をたっぷりふりかけて置くように命じたことがありました。そしてその夕方、遠乗りに出かけたときには、ご想像下さることと存じますが、もはやそのようなことは忘れていたのでした。ところが、深い、掘りかえされた耕地のなかを並足で馬をすすめていると、近くには追いたてられた一羽の鶉の子が飛びまわり、遠くには累々たる田畑の起伏の彼方に巨大な夕日が沈みかけていたほか、何ひとつ見当たらなかったのですが、突然そのとき小生の内心に、あの鼠たちの群の断末魔の苦悶にみちみちた地下室の光景が浮びあがってきたのです。すべてが小生の心のうちにありました。毒薬の甘く、鋭い臭気がみなぎっている、冷たい、息苦しい地下室の空気も、黴臭い壁にあたってはね返る鼠たちの断末魔の叫びのかん高い声も、彼等が気を失って、縺れあい、かたまりあって痙攣している有様も、絶望のあまり、入り乱れて突進している有様も、そして彼等が狂気のように出口を探しもとめ、二匹が塞がれた隙間でばったり出会ったときの憤怒の冷酷な眼ざしも。しかし、言葉を呪った小生としたことが、なぜまたしても言葉による表現を試みるのでしょうか!4)」
ここに表現されているのは、言語表現への懐疑などではなく、詩人の心の中に高まってくる持続的は陶酔と高揚感であり、日常の何気ないもの、畑にうちすてられた馬鍬とか日向に寝そべる犬とかみすぼらしい墓地とかが交感しあい、霊感をもって詩人の心に迫ってくる瞬間である。それらは言葉が紡ぎ出す幻視的体験といってもよい。このような詩的高揚の瞬間を綴った散文作品は、『詩についての対話』(1904)、『帰国者の手紙』(1907)、『美しい日々の思い出』(1908)、『ギリシアの瞬間』(1908─17)などである。ムージルが、エクスタシーと認識の融合、すなわちエクスタシーのなかでの認識、認識のなかでのエクスタシーを彼の重要な文学表現の手法としたように、ホーフマンスタールは、夢想あるいは幻視と認識を合一させる。夢想し陶酔する人の眼だけが、現実の深層に隠れている本当の意味を透視する。
ここでお断りしておかなければならないが、本稿では、鋭い洞察と卓越した知見に支えられ、時として読者を詩的法悦の瞬間へと誘う多彩なエッセイというジャンルを考察の対象として取り上げるのが主目的ではない。
ホーフマンスタールの未完に終わった小説『アンドレアス』(1912─13執筆)を、エクリチュールという視点から捉え直してみるというのが目的である。なぜ断章(Fragment)として残された作品をわざわざ扱うのかという問題に関しては、論述の過程で順次明らかにしてゆきたい。
ホーフマンスタールの文章を読んでわれわれが抱く印象を、とりあえずフリッツ・マルティーニの表現を引用して、まとめてみよう。「文章とそのリズムは、落ち着いた美しい秩序をもって流れてゆく。おおむね文章をparataktisch(並列的)につなげてゆくことによって、技巧を凝らした結合や急激な変化、語法や語の選択の派手な強調を避けている。終始一貫、平静で一様な言葉の調子が支配するなか、ただわずかに緊張が高まり、また静まっていく。リズムの激しい動き、ジグザグ線の不安、読者への性急な要求や読者を興奮させる要素は、どこにも見当たらない。ドラマティックな強勢を欠いているが、同様にまた、たゆとうような抒情的な情緒にも欠けている。叙事的なものは、距離を置いた、抑制された叙述の形式を貫徹することによって、十分に具現されているかに見える。……言葉の選択は、文の構造と同様に単純である。それらの選ばれた言葉は、断固たる強調や才気走った洒落を避ける。それらの言葉には、ディテールの過剰、逸脱や飛躍、不自然な精神の動き、隠喩による装飾というものが全くない。そこでは修辞的な傾向はいささかも見られず、語り手はおよそ芸人風な媚態はどんなものであれ、見せまいと用心している。われわれがそこから感ずるのは、この散文が、説得も売り込みも欲してはいないこと、興奮や緊張や扇情も意図していないということである5)」
テクストの表層から受ける印象は、確かにマルティーニの指摘するように、明晰さと落ち着き、節度と気品、静けさと調和といったものであろう。ホーフマンスタールの小説が目指すものは、単なる日常的なものの再現、つまりリアリズムの世界ではない。ホーフマンスタールにとって、問題的なもの(das Problematische)を生(なま)の形で作品の中に提示すること、こういう素朴なリアリズムほど異質で縁遠いものはない。„Die Gestalt erledigt das Problem”がホーフマンスタールの芸術表現の信条であり、基本的な立場である6)。上に引用したマルティーニの端正な文章では分かりにくいが、夢想と認識が合一しているようなホーフマンスタールの文体には、あらゆる微細な印象にも心が開かれているのであり、いわば物事の表層と深層を同時に捉える二重の内面の眼が働いている。実はこの二重性にこそ、作品の生命ともいうべき「ニュアンス」(生を真実の生たらしめているニュアンス)が内蔵されているのである。
 教養小説アンドレアス』の時代背景は、マリア・テレジア治下のロココ・ウィーンの時代に置き換えられている。秩序と礼節を重んじながら、父祖伝来の伝統的な価値観のなかで教育されたウィーンの都市貴族の息子アンドレアス・フェルシェンゲルダーは、より高邁なものの実在を認識し、人生の内実を認識するために、ヴェネチアへの旅に出たのである。柔軟な感受性に恵まれながらも、いまだ真の意味での試練を経ていない、不安定な青年アンドレアスが辿る自己形成の道がこの小説の本来のテーマであるという点で、作品『アンドレアス』は一応教養小説の体裁を整えている。しかし残念ながら作品は断章として終わったという点で、あくまでも教養小説という枠組みにこだわりながら解釈する見方は、放棄せざるをえない。
 ホーフマンスタール自身が『アンドレアス』を構想し、執筆した時代、つまり19世紀末から世紀転換期にかけての時代状況をどのように認識していたかは、次の文章によって知ることができる。「今日では、二つの事柄が現代的であるように思われる。つまり、生の分析と生からの逃避である。行為とか外的・内的生命力の協働、ヴィルヘルム・マイスター的な人生勉強とか、シェイクスピア的な世俗の営みに対する喜びが乏しいのだ。われわれは自己の精神生活の解剖学に従事するか、あるいは夢想にふける。内省あるいは空想。鏡像あるいは幻影7)」
 主人公がヴェネチアに到着して、ある伯爵家の一室に身を落ちつけることになり、その家の美しい娘ニーナ、元女優で今はパトロンに囲われている身の二―ナを目の前にしながら、ニ―ナとの幸福な生活を夢想する場面の描写を見てみよう。
 Seine Hand hatte ohne Vewegenheit, ja ohne Hoffnung Ninas Hand erfaßt, die reizend ohne Magerheit und zart war, ohne klein zu sein. Sie ließ sie ihm,
ja er glaubte zu fühlen, wie sich die Finger mit einem leichten beharrenden Druck um die seinen zusammenschlossen. Ihr Blick verschleierte sich , und das Innere ihrer blauen Augen schien, dunkel zu werden;die Ahnung eines Lächeln lag noch auf ihrer Oberlippe, aber ein vergehendes, beinah angstvolles Lächeln schien einen Kuß dorthin zu rufen.8)
 「彼(アンドレアス)は、厚かましさやもの欲しげな態度をいささかもみせずニ―ナの手を握っていた。彼女の手は骨ばっていないで可愛らしく、ふっくらとして小さすぎなかった。彼女は自分の手を彼にゆだねたままにしていた。彼は、彼女の指が軽く握りながら執拗に彼の指にからみついてくるように感じた。彼女の眼差しが潤んだようになり、青い眼の奥が黒ずんだように見えた。微かなほほ笑みが上唇に浮かんでいたが、いまにも消えそうな、ほとんど不安げなほほ笑みは、唇へのアンドレアスの接吻を呼んでいるようだった」
 このわずかな引用文からでも、ホーフマンスタールの散文の特徴が明確に把握されるといったら、言い過ぎであろうか。ニ―ナの手の描写に用いられる否定的表現、つまり否定であって純粋の否定でなく、むしろあるものの暗示、それどころか強調ですらあるその使用法、たとえば„die reizend ohne Magerkeit und zart war, ohne klein zu sein“において見られるように、否定詞によってやわらげられた形容詞は、常套的な言い回しとは全く違った独自の色合いを帯びるのである。「彼は、彼女の指が軽く握りながら執拗に彼の指にからみついてくるように感じた」という部分や、「いまにも消えそうな、ほとんど不安げなほほ笑みは、唇へのアンドレアスの接吻を呼んでいるようだった」という部分に表現されている事態は、本当にニ―ナの指の動きや顔の表情に起こっていることなのかどうか、叙述そのものからは決定できない。アンドレアスの生は、体験を伴わない諸々の印象のなかで、そして夢想と幻想のなかで起こる出来事である。つまり、生は夢として経験され、可能性としてのみ顕現する。
 フローベールを先駆として、H.ジェイムズ、M.プルースト、J.ジョイス、V.ウルフへと現代文学の作家たちに継承され、洗練度を加えていった体験話法(自由間接話法)の技法は、20世紀の小説に対し、かつてないほどの現実描写の豊かな可能性をもたらしたのであった。しかし、フローベールの作品を読んでいたに違いないはずのホーフマンスタールは、体験話法の技法をついに自らの物語技法に取り込むことはなかった。地の文のなかで、作中人物の言葉や想念や感情を自由に表現する手法は、ホーフマンスタールにとっては伝統的な「語り」からの逸脱であり、彼がもっとも重要と考える「物語距離」の放棄にほかならなかったからである。

注)4) (富士川英郎訳)(『フーゴー・フォン・ホーフマンスタール選集3』、河出書房新社、昭和47年、12-13頁)
5) Fritz Martini: Hugo von Hofmannsthal: Andreas oder die Vereinigten. In: Hofmannsthal (Wege der Forschung). Hrsg. von Sibylle Bauer. Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1968, S. 314.
6) このような信条は、グリルパルツァーに関する講演の中でも述べられている。„In der Gestalt erst ist das Problem erledigt.”Vgl. Hofrmannsthal: Rede auf Grillparzer. In: Prosa Ⅳ. Gesammelte Werke in Einzelausgaben. Hrsg. von Herbert Steiner. S. Fischer Verlag 1966, S. 126.
7) Zitiert bei Fritz Martini, a.a.O., S. 351.
8) Hofmannsthal: Andreas oder die Vereinigten. In: Die Erzählungen. S. Fischer 1968, S. 189.