素描家としてのフランツ・カフカ

             
             
 右に掲げたのは、カフカのオリジナル作品の手書き原稿の写真である。ほとんど書き直しや加筆部分や抹消した部分がなく、細密な文字で一気呵成に、一息で書き上げたように見える。

 学生時代のカフカの肖像写真を見ると、内気そうにはにかんだ、感じやすい、瞑想的ともいえる顔をしている。黒い縮れ毛が額までのびていて、その下には一見夢みるような、それでいて鋭い感受性と洞察力をもった大きな黒い瞳が見開かれている。顔全体の表情には病身そうな翳りと繊細さが漂っている。唇はかすかに分かるほどの軽い微笑を浮かべている。この顔の表情は、カフカの誠実で真摯で明晰で精緻な文体そのものに相通じるものだ。カフカのドイツ語は、チェコ訛りもなく、純正で古典的ともいうべき品格を備え、新語や造語、外来系の言語をことさら使うこともなかった。『家父の気がかり』に出てくるスラヴ語系の「オドラデク」は、数少ない例外であろう。端正なドイツ語を書くからといって、カフカの作品は決して読みやすいわけではない。
 「カフカの描きだすリアリズムはつねに想像力を超えている。描写の緻密な正確さによって人をひきずりこまずにはいない幻想的な世界の“自然主義的”な再現、あるいはまた、秘密にみちたものを表現する言葉、文体の正確無比な大胆さ、これ以上おどろくべきものを私は知らない。」(アンドレ・ジィド)
             

 カフカは、素描家としても特別な能力と独創性とをもつ芸術家である。盃の上にかがみこんだ狂暴で錯乱した「酔っ払い」や、あるいは大胆な運筆による二、三の線でまさに唸りを発した騎手と障碍物の上に乗り上げた馬のさかさまになった頭が見える。また目に見えぬ糸に操られている黒い操り人形のような人物たちが見える。
 その文学におけると同様に、カフカはそのスケッチにおいても誠実なレアリストであり、また同時に空想世界の創作家でもある。フェリクス・ヴェルチュに言わせれば、カフカの天才的レアリスト的傾向と、自由幻想的傾向との二傾向は、文学よりもカフカのスケッチの中でより強く現われている。しかしこの二傾向は、小説『城』の主情景でも同様に妖しく一体となっている。


 文学においても素描画と同様に、カフカはその形姿をたいていの場合外部から特徴づける。彼は決してその内部をはっきりとは見せてくれない。内部は不明瞭のままである。あるいは矛盾だらけである。カフカは、(フロイト的な)心理学をある箴言の中で、認識手段としてははっきり斥けている。というのは心理学は「いつも一致させる」からであり、つまり必然性が現われ出るようにいつも心理学はこね廻され、応用されるからである。われわれの住むこの世界は必然性の表現ではなく、この世界は自由に現われ出るのである。だからこの自由と主動性の表現として、カフカの文学では運動が非常に重要であり、カフカの作中の人物の身振りや外面の綿密な描写が重要なのである。(F・ヴェルチュ)