カフカの『城』とは何か・・・『城』を求めての果てしなき旅(続稿)
カフカの『城』は、確かに『審判』の延長線上に位置づけられるが、完結へと導かれるのでなく、むしろ拡散化、肥大化の方向を辿るように思われる。
城という構築物については、カフカ家の故郷南ボヘミアのヴォセクにある城や、フリートラントの城、あるいはプラハのフラチーン城などさまざまな城のイメージが重なり合って、『城』を形成していると考えられる。カフカがしばしば訪れた妹オットラの住む北西ボヘミアの牧歌的な村、チューラウの城も欠かせない要素であろう。これは想像でしかないが、これらが綯い交ぜになって、多様であり可変的でもあるカフカの城のイメージが形成されたのかもしれない。
『城』の冒頭部と似たような描写が一つある。引用してみよう。
遠くに町がみえる。あれが、君がいうところの町なのだろうか?
そうかもしれない。しかし、どうして君があそこに町を認めることができるのか、僕には理解できない。僕がそこにようやく何かを認めたのは、君が僕に注意を喚起してくれてからのことで、それにしたところで、せいぜい霧のなかに浮かんでいる、いくつかのぼんやりした輪郭にすぎなかったのだから。
ああ、どういたしまして、僕にははっきりみえるさ。それはひとつの山で、山頂に砦があって、斜面に村のような集落がひろがっているよ。
それならあの町だ、君の言うとおりだよ。それは、もともと大きな村なのさ
(平野嘉彦編訳『カフカ・セレクションⅠ』、ちくま文庫、[遠くに町がみえ
る]、11頁参照)
カフカの遺作『城』は、豊かなイメージと多様な構想のもとに書き始められたが、作者自身の病気の悪化とともに、書き進めることは断念せざるを得なかった。カフカ自身の完結しえなかった人生と重なるように、作品『城』は限りなく豊かなメッセージと形象を秘めながら、未完の遺作として残されたのである。
1922年9月11日、カフカはマックス・ブロート宛の手紙の中で、『城』執筆放棄の宣言をしている。カフカは、「今週はあまり楽しく過ごせなかった。(というのは城の物語die Schloßgeschichte をどうやら永久に放置しなければならなくなったからだ、プラはへの旅行の一週間前に始まった《挫折》以来、再び物語を書き始めることができなくなってしまったのだ)……」と書いている。