カフカの「語り」(2)

 『変身』からの引用した文章War er ein Tier, da ihn Musik so ergriff ? 「こんなに音楽に感動するのは、(俺は)やはり動物なのだろうか」を、筆者は体験話法の例として挙げた。体験話法(英語やフランス語では自由間接話法)は、一般に作中人物の内的な意識、輪郭の定かならぬ想念や思考、あるいは感情の動きを、地の文の中で伝達する様式である。体験話法は、特有の心理現象を表現するのに向いているために、近代に至って小説における描写法として特権的な地位を獲得するまでになった。体験話法の近代における創始者は、ジェーン・オースティンとされているが、19世紀になりフローベールなどによって文体上の技法として意識的・組織的に駆使されるようになった。(体験話法は、普通は三人称と過去形を用いて表現されるが、日本語に翻訳するときは一人称と現在形に直して翻訳するしかない。日本語では西欧の小説におけるように、文法的な約束事に縛られることがないので、体験話法的な語りは、ほとんどどんな状況でも生まれうるといっても過言でない。)
 体験話法は、一人称小説においても可能である。
 ジェラール・ジュネットは、プルーストの『失われた時を求めて』の中の主人公マルセルと母親の対話の場面を例にして、一人称の体験話法に言及している。
 ① 「私は母にこう言った《私はどうしてもアルベルチーヌと結婚しなけれ       
    ばならないのだ》と。」(直接話法)
 ② 「私はどうしてもアルベルチーヌと結婚しなければならないのだ、と私   
    は母に言った。」(関接話法)
 ③ 「私は母を探しにいった、私はどうしてもアルベルチーヌと結婚しなけ   
    ればならないのだ。」(体験話法=自由間接話法)

 上に挙げた三つの言説が表現している事態は、要するに「私は母に、アルベルチーヌと結婚する決意を伝えた」ということである。 

 さて、カフカの場合を取り上げてみよう。  
 フリードリヒ・バイスナーの『物語作家フランツ・カフカ』(1952年)は、ドイツのカフカ研究に強い影響を与えたことで知られる。バイスナーは、カフカがいつも単一の視点で、わたし(一人称)=形式だけでなく、三人称形式においても、単一の視点で語ることを指摘している。『失踪者』(『アメリカ』)で語られるすべては、カール・ロスマンによって見られ、感じられた事柄である。何事も彼なしに、または彼に反対して語られることはなく、彼のいないときの何事も、語られない。ただ彼の考え、すなわちカール・ロスマンの考えだけしか、語り手は伝え得ない。『審判』でも『城』でも全く同様である。(城山良彦著『カフカ』同学社、参照)
 バイスナーが、カフカにおける作者ー語り手ー主人公における単一の視点(視点の一致)を指摘したことは、画期的なことであり、カフカの作品構造とカフカエクリチュールの特異性とを顕在化させる重要な発見でもあった。
 カフカの『城』における人称の書き換えの問題については、ドリット・コーンの研究が有益な示唆を与えてくれる。(Dorrit Cohn:"K enters The Castle:On the Change of Person in Kafka`s Manuscript", Euphorion 62.) カフカは『城』を最初一人称で書いたが、途中で三人称の物語に書き換えている。ドリット・コーンは、カフカが草稿の「私」を「K」と書き換えた点を比較考証し、カフカの視点の特異性の解明に寄与したのである。
 次に引用するのは、カフカの『城』(初稿)の冒頭の部分である。
  
 私が到着したのは、晩遅くであった。村は深い雪のなかに横たわっていた。城の山はまったく見えず、霧と闇とが山をつつんでいて、大きな城のありかを示すほんの微かな灯りさえも見えなかった。私は長いあいだ、国道から村へ通じる木橋の上にたたずみ、何も見えない空を見上げていた。それから私は、宿を探しに出かけた。……

 新潮文庫版(前田敬作訳)では、次のようになっている。

 Kが到着したのは、夜もおそくなってからであった。村は、深い雪のなかに横たわっていた。城山は、なにひとつ見えず、霧と夜闇につつまれていた。大きな城のありかをしめすかすかな灯りさえなかった。Kは、長いあいだ、国道から村に通じる木の橋の上に立って、さだかならぬ虚空を見あげていた。
 やがて、泊まる場所をさがしに出かけた。……

 カフカの『城』の初稿は、その手書き原稿によると、冒頭からほぼ四十頁以上にわたって一人称で書かれている。その後カフカは地の文はほとんどそのままにして、「私」をすべてKに書き換え、Kがこの物語の主人公として現われてくる。ドリット・コーンは、カフカがなぜ一人称形式を三人称形式に変更したのか、またその結果としてこの変更はテクストにどのような文体上・構造上の変化をもたらしたかを、テクストの精密な検討を通じて明らかにしようとする。
 よく言われるように、典型的な一人称小説では、物語り行為が独特の仕方で劇化されている。すなわち話し手と聞き手という枠組みを設定したり(ジッドの『背徳者』)、語り手自身に言及して物語り行為中の語り手自身の相貌を浮き立たせたり(『トリストラム・シャンディ』)、あるいは物語り行為を行なう語り手の存在をことさら誇示することはなくとも、自らの思考や発話の特徴的なパターンを語りそのものの中に浸透させる(『フェーリクス・クルル』、『荒野の狼』)手法などによって、物語り行為を読者に意識させるのが、大なり小なり一人称形式の特徴である。そこには必ず、「語る私」と「体験する私」が存在する。
 一人称形式では、語り手の存在が物語の時間構造を決定する。というのも、自分自身の過去の出来事に言及する語り手は、必然的に「体験の瞬間」(moment of experience)と「語りの瞬間」(moment of narration)との間に経過した時間を物語の中に導入せざるをえないからである。しかしカフカのテクストでは、このような時間構造が必ずしも判然としない。一人称形式の特徴は、「過去(体験の場)−現在(語りの場)」という両極的な時間構造にあるが、カフカの『城』(初稿)では、文法上だけの一人称物語となっている。一般に三人称物語の語り手のみが、登場人物の意識を自由に隠蔽したり、また露呈させたりすることができる。しかし一人称形式の語り手(=主人公)の場合、自己心理の表明はえてして不透明なものとなり、つじつまの合わないものとなりがちである。まさに自己心理の明示化における不透明さ、そのつじつまの合わなさ、要するに一人称形式によって不透明な自己の心理を表現することの問題性が、カフカに一人称の語り手という立場から『城』(初稿)を書き続けることの困難さをしだいに認識させていったと考えられる。逆に見れば、このような困難との苦闘があったからこそ、カフカは『城』草稿の中で語り手であり主人公である「私」を「K」に置き換えることに何らの躊躇も感じなかったのである。
 この人称の転換は、単に小説の叙法の変換であるばかりでなく、カフカにおける最も本質的なエクリチュールの特徴、すなわち「作者」−「語り手」−「主人公」という三者における視点の一致(バイスナーの指摘)を蘇らすことになったのである。
 この点はいくら強調しても強調し過ぎるということはない。ある意味でポリツァーやバイスナーに先立って、誰よりも根源的に深くカフカを読み込み、これまでの凡百の解釈を超越し、ドイツ系の研究者をも凌駕するほどの革新的な分析と解釈でわれわれを驚かせたモーリス・ブランショカフカ論をーこれは至難の業であるがー今後は取り上げたいと思っている。それはカフカを読み、解釈する作業というよりは、カフカという存在そのものを知る作業というべきであろう。