カフカの『城』とは何か・・・『城』を求めての果てしなき旅(続稿)

 前回のブログで写真集の後に引用した文章は、晩遅くに村へ到着したkが、国道から村へ通じる木橋の上にたたずんで城があるとおぼしき山を見上げている場面と、翌日晴れ渡った冬の朝景色のなかで、彼の目に映った遠くに見える城の表情である。それは明晰でくっきりとした輪郭を示している。

 今回引用するのは、到着から4日後の夕方、すでに村でさまざまのことを経験したKが、遠くに眺める城から受ける印象と、Kの心に浮かぶさまざまな感懐である。二つの描写を比べると、些細な変化のように見えながら、そこには眺める主体(k)に起こった主観の変化が色濃く反映されているように思われる。


 城は、その輪郭がすでにぼんやりとなり始めていたが、いつものように静かに横たわっていた。Kはまだ一度も、城に人が住んでいるほんのわずかな徴候でも見たことはなかった。こんなに遠いところから何かを見わけることは、おそらく全然できないだろう。それでも両眼はそれを求めており、その静けさを黙って受け入れようとはしないのだ。Kは城を見つめていると、落ちついて坐り、ぼんやり前をながめているだれかを見ているような気持が、ときどきするのだった。その人間は、もの思いにふけって、そのためにいっさいのものに対して自分を閉ざしてしまっているのではなくて、自由に、ものにこだわらずに、まるで自分一人だけがいて、だれも自分を見てなんかいないのだというような様子である。ところが、その人間は、自分が見られているということに気づいているにちがいないのだ。だが、それもその人間の落ちつきを少しも妨げはしない。そして、ほんとうに――それが原因なのか結果なのかはわからぬのだが――見ているこちらの視線はそこにじっととまっていることができないで、すべり落ちてしまう。こうした印象は、きょうは早くも暗くなり始めたあたりの気配によっていっそう強められた。長くながめていればいるほど、いよいよ見わけがつかなくなり、いっさいがいよいよ深く黄昏(たそがれ)のうちに沈んでいくのだった。(原田義人訳)