Entries from 2016-01-01 to 1 year
前のブログでも述べたように、カフカのエクリチュールを論ずるにあたっては、物語理論的なアプローチが必要不可欠である。それは物語における時間構造の問題である。一般に物語における時間というものを考えるとき、物語には二種類の時間があることが分かる…
物語理論は、非常に重要な概念をロマーン・インガルデンに負うている。それは「不確定個所」という概念である。物語理論における「語り手」(Erzähler)と「映し手」(Reflektor)という概念を、適用することによって、「不確定個所」という現象の多様性を的…
すでに述べたことであるが、カフカの『城』の初稿は、その手書き原稿によると、冒頭からほぼ40ページ以上にわたって、一人称で書かれている。その後一人称が姿を消し、代わってKがこの物語の主人公として現われてくる。ドリット・コーンは、カフカがなぜ一…
前回のブログで写真集の後に引用した文章は、晩遅くに村へ到着したkが、国道から村へ通じる木橋の上にたたずんで城があるとおぼしき山を見上げている場面と、翌日晴れ渡った冬の朝景色のなかで、彼の目に映った遠くに見える城の表情である。それは明晰でく…
写真集 Kが到着したのは、晩遅くであった。村は深い雪のなかに横たわっていた。城の山は全然見えず、霧と闇やみとが山を取り巻いていて、大きな城のありかを示すほんの微かな光さえも射していなかった。Kは長いあいだ、国道から村へ通じる木橋の上にたたず…
カフカの『城』は、確かに『審判』の延長線上に位置づけられるが、完結へと導かれるのでなく、むしろ拡散化、肥大化の方向を辿るように思われる。 城という構築物については、カフカ家の故郷南ボヘミアのヴォセクにある城や、フリートラントの城、あるいはプ…
4月1日のブログで紹介したように、原田義人氏は次のように述べておられる。《『日記』の一九一四年六月十一日の項に「村での誘惑」という断片が書かれているが、これは『城』とある類似をもっている。『審判』にしろ『城』にしろ、カフカは突発的な創作を行…
本稿では、原田義人氏による「世界文学大系58」(新潮社)所収のカフカ解説をほぼそのまま引用しながら、改めてカフカという作家像および作品の真実に迫りたい。筆者の判断で省略した部分もあることをお断りしておく。太字による強調は、筆者自身によるもので…
ヴィーゼの研究は、父親の論理の世界、つまり父権的世界から失墜した破滅 者が女性的な融和の楽園を求め、そこに希望を見出していくことをフェミニズム的な観点から説明するものであるが、ヴィーゼの説く「女性的な中心」としての反ー父権神話的楽園という発…
カフカ『判決』とフェリーツェ・バウアー カフカの生前(1913年)に発表された短編『判決』は、カフカが一晩で書き上げ、初めて自らが納得できる小説を書けたという自負を日記に綴った作品である。いわば真の意味で「カフカ的」小説を確立した記念碑的な短編…
カフカの自伝的な事柄に関して ーーーカフカをめぐる女性たちを中心にーーー (写真左から、エリ、ヴァリー、オットラ) カフカと三人の妹たち オティリー・カフカ(Ottilie Kafka、1892年10月29日 - 1943年)は、「オットラ」の愛称で知られる。作家フラン…
Interpretation(続き) Dabei bleiben die Machtmittel, die dem Schloss zur Verfügung stehen, unklar. Die Dorfbewohner leben in einer angstgeladenen, beklemmenden Atmosphäre, sie bringen den Beamten eine scheinbar völlig unangemessene Ehrfur…
http://www.xlibris.de/themes/xlibris/logo.png Fotos: Das Schloß Interpretation:Das Schloß Kafkas 1922 entstandenes Romanfragment Das Schloß zählt zweifellos zu den rätselhaftesten Werken der Weltliteratur. In vieler Hinsicht verweist er a…
十四世紀神聖ローマ帝国皇帝であったカレル四世(在位一三四六─一三七八年)治世の時代にプラハの街の骨格となる形がほぼ完成した。プラハ大学創設、カレル橋の創建、大司教座を置くなど歴史に残る多くの偉業を行なった。旧市街のほかに新市街の建設を促進さ…
ユダヤ人墓地 ミュシャ:夢想 マラー・ストラナ プラハ本駅ホール プラハ旧市街ユダヤ人地区界隈 マラー・ストラナ マラー・ストラナ
フランツ・カフカの評価をめぐって(以下に記すのは、F-9会と称する高校時代の同級生たちの集まりで、カフカについて報告するために準備した資料や草稿をまとめたものである。既発表のもの、重複する資料等あるが、すべてはカフカの未完の大作『城』の謎に少…
(Egon Schiele: Vier Bäume) (C.D.フリードリヒ:朝日のあたる村の風景)
ウイリー・ハース著(原田義人訳)『文学的回想』の第一章「古いプラークのさまざまの秘密」の中で、ハースはカフカについて次のように語っている。少し長くなるが、引用してみよう。 私はマックス・ブロートを通じて、フランツ・カフカを知る。 フランツ・カ…
ラティボジツェ城 カフカが『判決』や『審判』、『変身』などを書く時、彼の書く物語(レシ)には、話を占有する登場人物たちが描かれていながら、それと同時に、カフカと彼自身の話しか描かれていない。 おそらくこれは、作者─語り手─主人公という三者が同…
体験話法は、一般的に三人称の人物の思考過程もしくは言葉に表現されない意識の流れを、三人称の直説法で、しかもたいていは過去形で再現する形式である。体験話法は、語り手と作中人物の視点をダブらせ、両者の境目が定かでないようにする手法でもある。つ…
カフカが1912年秋に一夜で一気に書き上げた『判決』の最後は、「この瞬間、橋の上にとめどない無限の雑踏が始まった。」という一文で終わる。この最後の幕切れをめぐって、カフカ研究者によってさまざまに論議されている。この最後の一文は、一体なにを言お…
『変身』からの引用した文章War er ein Tier, da ihn Musik so ergriff ? 「こんなに音楽に感動するのは、(俺は)やはり動物なのだろうか」を、筆者は体験話法の例として挙げた。体験話法(英語やフランス語では自由間接話法)は、一般に作中人物の内的な意…
「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはいけない」「物語の中に、必然性がない小道具は持ち出すなということだ」。 「チェーホフの銃」とは、劇作家アントン・チェーホフが、ドラマの原理についての換喩を要約した名言で、「物語の前段で登場さ…
一般に一人称の語り手(私)による小説の場合、とりわけ自叙伝的な小説の場合、「語る私」と「体験する私」との間に二極構造的な緊張関係が見られるのが普通である。たとえばディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』のような作品において典型的に見られ…
初めに敬愛する友人田多井探検隊長の視薬(写真)を掲げ、当ブログを読んでくださる方々へしばしの間、息抜きのひと時を捧げたい。 『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、訳者の村上氏が言うように、ある意味で作者自身による「自己のトラウマの分析と、その…
視薬となる写真2葉 村上春樹著『ノルウェイの森』雑感 上に掲げた写真とは全く関係ないが、ようやく『ノルウェイの森』を読了したので、このところずっと思い続けていた読後感などを自由気ままに記してみたい。村上春樹氏にノーベル賞受賞を期待する人々は、…
T隊長の写真集(視薬)より
冒頭に掲げた写真は、信濃の国の秘境の隅々まで知り尽くした、筆者の敬愛してやまないT探検隊長が送ってくれた数十枚の大判プリント版写真からたった2枚だけ選んだものである。隊長から写真掲載の許可は得ていないが、「共有」という形で許してもらえると勝…